兎薬草店の眠れない匙
冬木ひよりは、眠るための努力に疲れていた。
照明を暗くし、画面を見ず、入浴の時刻もそろえた。それでも布団へ入ると、翌日の予定が頭の中を行進する。
商店街の外れに「月耳薬草店」があると聞き、仕事帰りに寄った。
店主は白兎の月耳。人間の薬草師が瓶を並べ、月耳が長い耳で湯の沸く音を確かめている。
「一番強く眠れるお茶をください」
「うちはお茶屋です。気絶屋ではありません」
「では、眠くなるもの」
「夜を小さくするものなら」
月耳は焙じ米、カモミール、乾燥した蜜柑の皮を匙で量った。
「その匙、小さくないですか」
「眠れない人は、一晩を大きく数えすぎます」
「朝まで七時間です」
「今は、湯が沸くまで」
店内の試飲席へ座る。
人間の薬草師が湯を注ぐと、焙じ米の香ばしさに、蜜柑の明るい匂いが混じった。月耳は向かいの椅子で耳を立てる。
「息を四つ数えます」
「眠れるまで?」
「四つまで。五つ目は、また一から」
「永遠に終わらないのでは」
「夜も同じです。数え続けるから長い」
ひよりは湯気を吸い、一つ、二つと息をした。四つまで来ると、月耳の耳が少し横へ倒れる。
「今、眠そうです」
「兎は夜も元気です」
「説得力がない」
「だから、眠れない側の気持ちが分かります」
月耳は、眠れなかったら布団から一度出て、温かなものを一口飲み、また戻るよう言った。
「布団を試験会場にしないこと」
「合格しないと朝が来ません」
「朝は勝手に来ます」
その夜、ひよりは三時に目を覚ました。
焦って時計を見る代わりに、小さな匙一杯の茶を淹れた。台所の灯りだけをつけ、四つまで呼吸する。
眠気はすぐ来なかった。けれど、眠れない自分を叱る声は少し遠のいた。
いつの間にか布団へ戻り、朝まで眠っていた。
一週間後、月耳薬草店へ報告に行く。
「毎晩ではありません。でも、前より楽です」
「夜が小さくなった?」
「夜の中に、温かい場所ができました」
月耳は満足そうに鼻を動かした。
ひよりは同じ茶を買い、店を出た。紙袋から蜜柑と草の匂いが立つ。
その晩も眠れなかったが、焦らず匙を一つだけ使った。湯気の向こうに白い耳を思い浮かべ、四つまで数える。夜はまだ暗かったが、手の中のカップは、朝を急がなくてよいほど温かかった。