公民館の縁側、梅ジャム

 五十鈴沙英は、移住して初めての町内清掃へ参加するつもりだった。

 ところが集合時刻の直前、大雨になった。

 公民館へ着くと、作業は中止。参加者はすぐ帰り、沙英だけが迎えのバスを待つことになった。

 縁側には、作業着姿の農家の女性が一人残っていた。

 大きな籠を抱え、中には小瓶がいくつも入っている。

「清掃のあと、配る予定だった梅ジャム」

「残念ですね」

「腐らないから、次でいい」

 女性は平然としていた。

 雨は庭の砂を細かく跳ね上げた。

 沙英はこの町へ越して三か月。近所づきあいを始めるきっかけとして清掃へ来たのに、誰とも話さず終わりそうだった。

「私、こういう行事が中止になると、また一からやり直しみたいに感じます」

 思わず言うと、女性は籠から瓶を一つ出した。

「雨の日も、町内の日よ」

「掃除してないのに?」

「今日は側溝へ水が流れてる。人間が休んで、雨が掃除してる」

 公民館の台所から食パンを一枚持ってきて、半分に切った。

 トースターで焼き、梅ジャムを塗る。

 瓶を開けた瞬間、甘酸っぱい香りが縁側へ広がった。

「去年の梅?」

「今年。傷のある実だけで作った」

「売り物にはしないんですか」

「傷のない方は梅干し。こっちは早く煮えて、朝にちょうどいい」

 沙英は一口食べた。

 果肉が少し残り、酸味のあとに砂糖の丸い甘さが来る。

 女性は、町内のごみ置き場の場所、回覧板の順番、冬の雪かきのことを教えてくれた。

 どれも大きな話ではない。けれど、沙英が知りたかった暮らしの入口だった。

 バスの時刻が近づくころ、雨が弱まった。

 庭の側溝には澄んだ水が流れ、土の表面へ小さな筋を作っている。

 女性は梅ジャムの瓶を一つ、沙英へ渡した。

「清掃の参加賞」

「何もしてません」

「雨宿りした。私の話も聞いた」

 それで十分らしい。

 バス停まで二人で歩いた。

 濡れた草から青い匂いが上がり、公民館の屋根から最後の雫が落ちる。

 沙英の鞄には梅ジャムが一瓶。

 次の町内行事まで、朝食のたびに今日の雨を思い出せる。

 中止になった一日は、やり直しではなかった。

 雨の縁側で、町の中へ入る小さな戸口が一つ開いていた。