共同研究者の署名欄
遥は、婚約者の拓海と共同で特許を出した。正確には、遥が十年かけて作った蓄電素材の申請書へ、婚約祝いだからと彼の名を並べた。受賞後、拓海は「中心研究者は自分だ」と発表し、抗議した遥を研究室から追い出して婚約も解消した。
失意のまま雷雨の夜に倒れ、目覚めると特許申請日の研究室だった。
窓を打つ春雷。銀色のシャープペンシル。拓海は前と同じ台詞で申請書を差し出す。
「二人の未来だから、一緒に名前を書こう」
一度目の遥は嬉しくて、共同発明者欄へ彼の名を書いた。今度はペンを受け取らず、自分の実験日誌を机へ置く。
「未来の前に、過去の記録を確認しよう」
日誌には素材の配合、失敗した百二十七回の試験、完成時刻まで電子署名されている。拓海の名は、試料棚の予約欄に一度あるだけだ。
「婚約者を疑うのか?」
「発明者かどうかを確認しているの。婚約とは別の話よ」
「僕の名前がなければ、教授会は通らない」
前の人生では、その脅しを信じた。遥は申請端末を開き、単独発明で送信する。
拓海が電源を抜こうとした瞬間、研究倫理監視システムが起動した。共同研究者の追加を強要する音声と操作妨害が、自動保存される。隣室から同僚の理央と研究科長が入ってきた。
「今の会話、監査記録に残ったよ」
拓海の顔から余裕が消える。
「遥、冗談だ。結婚するなら財産は同じだろう」
「だから盗んでいい、にはならない」
彼女は婚約指輪を外さなかった。感情で投げ返せば、また研究の問題を恋人同士の喧嘩にされる。まず研究者として決着をつける。
研究科長は拓海の入室権限をその場で停止した。彼が持ち出そうとしていた試料箱から、遥の実験番号を削ったラベルが何枚も見つかる。言い逃れの余地まで、彼自身が用意してくれていた。
雷鳴の直後、申請端末が緑に変わった。
《発明者:遥》
《追加申請者:なし》
前回届いた《共同申請を受理しました》は表示されない。代わりに理央が画面を指し、初めて心から笑った。
「おめでとう。今度は、ちゃんとあなたの名前だけだ」