冷める薄茶
鏑木初音は、茶道サークル最後の稽古で三つの茶碗を並べた。大学は和室を留学生ラウンジへ改修し、炉も畳も撤去する。後輩のいない三人は、移転ではなく解散を選んだ。
「最後なんだから、濃茶にしない?」
生駒貫が言う。
「濃茶は一碗を回すでしょう。今日は別々に飲みたい」
淀川紫乃が、初音の言葉に小さく頷いた。
初音は京都の古道具店へ弟子入りする。茶碗の金継ぎを学ぶという。
「割れたものを直す仕事か」
「元通りにはしない。割れた線を残す」
「この部屋も直してくれ」
「壊した人に頼んで」
貫は医学部を卒業し、救急科へ進む。夜勤続きになれば、茶を点てる時間はない。
「手順を守れば落ち着くと思ってた。でも病院は、順番どおりに人が来ない」
「だから救急?」
「順番が崩れた時に、何を先にするか覚えたい」
紫乃は故郷の旅館を継ぐ。茶道を続けるのは彼女だけだが、客前で点てる茶は稽古ではなく商売になる。
「一番残る人が、一番変わるんだね」と初音が言った。
「お金をもらうと、所作は嘘になる?」
「嘘じゃない。意味が増える」
湯が沸いた。初音は一碗ずつ点て、三人は同時に飲まなかった。貫は熱いうちに、紫乃は香りを待って、初音は二人の飲み方を見てから口をつけた。
「解散届の理由、施設変更でいい?」
「部員不足も」
「進路の相違も」
三つ書けば、どれも本当で、どれも言い訳に見えた。初音は〈継続する者なし〉とだけ記した。
紫乃が眉を上げる。
「私は続けるよ」
「サークルを、だよ」
「同じじゃないんだ」
返す茶碗を箱へ収めた。貫の一碗は空、紫乃の一碗には泡の輪、初音の一碗には薄茶が少し残っている。
三人は正座の痺れを笑いながら立ち、和室を出た。障子の外では、改修業者の台車が畳の縁を待っていた。
片付け忘れた一碗だけが床の間の前に残った。誰の茶碗でもない予備だった。湯気はもうなく、緑の表面に改修工事の白い天井が映っていた。