凍結庫のラベル
粟生田奈緒刑事は、零下二十度の証拠凍結庫で白い息を吐いた。
九年前の強姦殺人で、八木澤充を有罪にした綿棒が目の前にある。再鑑定を求める弁護側へ「試料残量なし」と回答する前の最終確認だった。
ラベルの隅に、小さな英数字が印刷されていた。《L24》。製造ロットだ。
粟生田は納入記録を照合した。その耐低温ラベルが県警へ導入されたのは、事件の六か月後だった。
「採取時のラベルではありません」
在原修鑑定管理官は、庫内灯を見上げた。
「古いものが剥がれ、再検査時に貼り直した」
「貼り直し記録がない。しかも筆跡は、八木澤の参考口腔液のラベルと同じです」
二本の管は同じ日に解凍されていた。綿棒側のふたから、参考口腔液に使う青い保存液が検出されている。DNA一致は、再検査時の混入で説明できた。凍結庫の監視記録には、在原が二本を同じ作業台へ置き、片方の手袋だけで双方のふたを開ける姿が残っている。その映像は《容量節約》を理由に今夜削除予定だった。粟生田は過去二度、《適正管理を確認》という回答書に署名している。今回黙れば、三度目は過失ではなく選択になる。
在原は庫内扉を閉めた。低い警報音が止まり、二人の呼吸だけになる。
「外部へ出せば、この棚の百三十二件が再鑑定だ。試料を使い切る事件もある。真犯人を逃がすことになるぞ」
「すでに一人、違う人を閉じ込めています」
「八木澤に前科があることを忘れるな。無実の聖人じゃない」
粟生田は手袋越しに管を持った。ラベルを剥がせばロット番号は消える。貼った者を特定できなくても、管理瑕疵として処理できる。県警はそれを望んでいた。
在原が手を差し出した。
「戻せ。朝まで考えろ」
粟生田は二本を独立鑑定用の二重ケースへ入れた。庫外の監視カメラへケースを掲げ、移動時刻を読み上げる。
《DNA汚染および証拠表示改変の疑い》。外部研究所への緊急移送票に署名し、凍結庫の全棚へ保全停止をかけた。
警報が再び鳴った時、在原の管理権限は端末から消えていた。