処刑日の入れ墨
他人の名を自分の肌へ刻めば、その人に次に訪れる運命を一つだけ奪える。ただし刻み終えた瞬間、その人の名を二度と思い出せなくなる。
アヴァンネは左腕へ、レジュナの名を刻み始めた。
夜明け前の牢は冷え、壁の向こうで処刑台を組む槌音がする。妹は眠り薬を飲まされ、隣の房で静かに息をしていた。正午になれば、反乱軍へ水を渡した罪で吊られる。
看守から盗んだ針を火であぶる。墨はない。自分の血で十分だった。
最初の文字を刻む。
幼い妹が、転んだアヴァンネの膝へ葉を貼ってくれた日の記憶が浮かぶ。
二文字目。
初めて働いた給金で、妹が赤い靴紐を買ってくれた日。
三文字目。
処刑判決を聞いたとき、レジュナが泣かずに言った。
『姉さんは何もしないで。私の運命だから』
運命は名前を目印にやって来る。名を肌へ移せば、縄も正午も、妹ではなくアヴァンネを選ぶ。
代わりに、刻み終えた者はその名を忘れる。顔も関係も覚えているのに、呼びかけだけがなくなるのではない。名へ結びついた意味が切れ、なぜ命を差し出したのかさえ曖昧になる。
最後の一画を前に、アヴァンネは手を止めた。針先から落ちた血が、二人の房を隔てる石の隙間へ吸い込まれた。
隣の房から、かすかな寝言がした。
「姉さん」
その一言で、二人の間にあるものは名前より強いと思えた。忘れても、身体が覚えているはずだ。妹の好物、笑うとき鼻に皺が寄ること、怖いと右手を握る癖。
けれど魔法は、理由まで奪う。
処刑台へ向かう自分は、なぜここにいるか分からず怯えるだろう。助かった妹を見ても、誰なのか尋ねるかもしれない。その残酷さを、妹は一生抱える。
アヴァンネは最後の一画を刻んだ。
血が文字の溝を満たす。
隣の房で縄がひとりでに解けた。同時に、左腕の名が熱を持ち、頭の中から一つの音が抜け落ちる。
目を覚ました若い女が、鉄格子へ駆け寄った。
「姉さん!」
アヴァンネはその顔を知っていた。世界で一番守りたかった顔だと、涙だけが先に分かった。
「ごめんなさい」
彼女は震える唇で尋ねた。
「あなたの名前を、教えて」