出口の白い札

円香は、怖いと言うのが苦手だった。

元恋人に「大げさ」と笑われ続けたからだ。

暗い道で腕をつかんでも、ホラー映画で目を閉じても、彼はため息をついた。

「子どもじゃないんだから。怖がれば誰かが守ってくれると思ってる?」

それ以来、円香は苦手なものほど平気な顔で耐えた。怖いと言えば、弱さを利用する人だと思われる気がした。

友人たちに誘われ、廃病院を模した体験型イベントへ行った。入口で白い腕輪を渡される。途中退出したい場合は、腕輪をスタッフへ見せればよいと説明された。

最初の部屋で照明が消え、金属を引きずる音がした。円香の背中に冷たい汗が流れた。二つ目の通路では、カーテンの向こうから誰かが飛び出した。

友人たちは笑いながら先へ進む。

円香も笑った。喉が狭くなり、息を吸うたび胸が痛んだ。

壁に「出口」と書かれた白い札が見えた。非常口ではなく、途中退出者用の扉だった。

円香は通り過ぎかけた。

ここで出たら空気を壊す。あとで面倒な人だと思われる。元恋人の声が、また大げさだと言った。

円香は白い腕輪を外し、扉の前のスタッフに差し出した。

「ここで出ます」

声は震えた。理由を長く説明せず、友人たちにも先へ行ってとだけ伝えた。

扉を越えた瞬間、円香の膝から力が抜けた。最後まで行かなかった安堵より、逃げたという恥ずかしさの方が先に来た。スタッフは腕輪を箱へ入れ、「お連れさまはこちらから戻ります」と出口を示しただけだった。円香は平気な顔を作らず、壁に手をついて呼吸が整うのを待った。

ロビーは明るく、自動販売機の音がしていた。円香は水を買い、ベンチに座った。手はまだ震えている。情けなさも残った。

三十分後、友人たちが出口から戻り、怖かった場面を一斉に話し始めた。円香は途中退出を笑われる準備をしたが、誰かが「水ある?」と聞いただけだった。

円香はペットボトルを渡した。

次は最後まで行けるようになろう、とは思わなかった。白い腕輪の跡を親指でなぞり、出た自分を言い訳で消さずに座っていた。