切符売り場の藤色

山あいの小駅で、名取璃乃の藤色の傘が、緑色の傘に取り替わっていた。

終電まであと一時間。駅員用の傘立てへ入ったのは、同僚の稲見央、毎週金曜に来る戸塚恵人、売店の姫野すずの三人だった。

稲見はホームを点検し、すずは売れ残った弁当を運んだ。戸塚は改札で、年配の女性と長く話していたという。

緑色の傘の留め紐には、古い乗車券が挟まっている。持ち手からは、売店の緑茶飴の匂い。待合室の時刻表には、藤色の丸が最終バスの時刻へ付けられていた。

年配の女性は、戸塚の祖母だった。最近、帰り道が分からなくなることがあり、戸塚が毎週迎えに来ている。璃乃も何度か、目的地の名を思い出すまで窓口で一緒に時刻表を眺めたことがある。今日は先に駅へ着いた祖母が、璃乃の傘を自分のものと思い込んだ。

璃乃が改札を出ると、古い駅舎の明かりの先、バス停に藤色の傘が見えた。戸塚は祖母の隣で、自分だけ濡れている。

「気づいていたんですね」

「はい。でも、違うと言ったら不安になると思って」

祖母は若い頃、藤色の傘を使っていたらしい。持ち手を握った途端、迷っていた表情がほどけ、「おじいさんが待っているから帰らなくちゃ」と言った。戸塚は訂正せず、祖母が覚えている帰り道の話を最後まで聞いた。

戸塚は自分の緑色の傘を駅の傘立てへ残した。璃乃が帰れなくならないよう、稲見に事情を伝え、最終バスまでには必ず戻すつもりだった。

「祖母、いつも名取さんに切符を買ってもらったって話すんです。今は券売機なのに」

「窓口だった頃のことを覚えているんでしょう」

「たぶん。忘れていることより、残っていることを大事にしたくて」

バスが来ると、祖母は藤色の傘を璃乃へ差し出した。

「親切な駅員さんに、返しておいて」

本人を前にしているのに気づかない。それでも璃乃は両手で受け取った。

売店へ戻ると、すずが緑茶飴を一つくれた。璃乃は小さな包みを開け、飴を舌に載せる。

「確かに、お預かりしました」