匿名アンコール
歌い手・逆巻クロの追悼配信で、最後の予約投稿が始まった。
画面は真っ暗。中央には、マイクを握る白い手だけが描かれている。コメント欄だけが流れ、千駄木澪はモデレーターとして荒らしを消していた。クロがまだ視聴者百人だった頃から、澪は無償で配信を支え、脅迫が届くたび保存していた。クロが亡くなるまで、彼女は毎晩ここで同じ仕事をしていた。
イントロは、観客のざわめきを逆再生したノイズ。やがてクロの声が低く入る。
「もう一度」
コメント欄が〈アンコール!〉で埋まる。
だが曲はAメロの途中で止まり、画面に一文が出た。
〈R_17さんが指定の言葉を書くまで、続きません〉
澪の背中が冷えた。R_17は、クロへ何百通もの音声メッセージを送りつけた匿名アカウントだ。歌え。笑え。返事をしろ。拒めば家へ行く。クロは運営へ相談した直後、ライブ会場の非常階段から落ちた。事故とされたが、手すりには彼女以外の新しい靴跡があり、澪は保存した音声を警察へ渡していた。声だけでは本人を特定できなかった。アカウントは事件後に消えている。
曲のカウントは進まない。何万人が待っても、沈黙だけが長くなる。その沈黙に耐えられなくなった者を、クロは待っていた。
一分後、灰色の新規アカウントが書き込んだ。
〈もう一度〉
曲が再開する。
サビには、クロの歌ではなく、削除された脅迫音声がリズムとして刻まれていた。息継ぎ、舌打ち、机を叩く音。その上からクロが同じ言葉を重ねる。
「ちゃんと言って」
画面にマイク許可の表示が出る。匿名の男は挑発だと思ったのか接続した。
「俺は歌えって言っただけだ。落ちたのはあいつの勝手だ」
声が配信全体へ響いた。
直後、過去の脅迫音声と今の声の波形が重なり、一致率が表示される。さらに、接続元の情報を保全したという通知が警察の公式アカウントから投稿された。クロは生前、捜査員とこの配信を組んでいたのだ。
男が切断しようとする。だがサビは止まらない。
「もう一度」
最初はファンが歌を求めるアンコールだった。
最後には、死者が加害者へ同じ言葉を繰り返させ、逃げられない形で証言させる尋問になっていた。