十七分を再生しない
牧原理名のメッセージアプリには、長い音声がよく届く。
知人からの相談は、文字では収まらないらしい。仕事帰りの電車で十数分の音声を聞き、帰宅してから一つずつ返事を作る。言葉を取りこぼせば雑に扱ったと思われそうで、理名はメモまで取った。
返事には一時間以上かかることもある。言い方が強くないか確認し、助言が押しつけにならないよう直し、最後には必ず質問を置いた。会話が終わらない仕組みを、気遣いだと思って自分で作っていた。
水曜の二十二時、皿を洗っていると通知が出た。
《音声メッセージ 17:42》
送り主は最近、転職するか迷っている友人だった。昨日も四十分話したばかりだ。理名は濡れた手を拭き、再生ボタンを押しかけた。
今聞かなければ、友人は一人で考え込むかもしれない。相談に乗ると言ったのは理名だ。十七分くらい、家事をしながらなら聞ける。
けれどイヤホンをつけた瞬間、耳の奥がきゅっと縮んだ。今日は職場で一日中、問い合わせの電話を受けていた。誰かの声をもう一つ入れたら、自分の考えがどこにも残らない気がした。
理名は再生を止めた。まだ一秒も進んでいない。
《今日は聞けません。返事も明日以降になります》
送信するとき、最後に《大丈夫?》を足しそうになった。相手が大丈夫ではないと返せば、また今夜が始まる。その言葉を消し、通知を明日の朝まで切った。
既読をつけないままにしたことも気になった。礼儀より先に、今は聞けないという事実を置く。理名は端末を裏返し、時計だけを別の場所で見た。
皿洗いへ戻る。水の音だけでも、しばらくはうるさく感じた。理名は蛇口を細くし、最後のコップを伏せた。
友人から返事が来たかもしれない。アプリのアイコンには赤い印がついている。理名はそれを開かず、充電器へ端末を置いた。
十七分の音声は、聞かれないまま残っている。友情も、問題も、今夜のうちには片づかない。
理名は台所の灯りを消した。誰かの声を入れなかった静けさに、ようやく自分の呼吸が一つだけ聞こえた。