十二打ぶんの会話
町の時計台を修理する夜、十二時の鐘と一緒に亡くなった夫が現れた。
歯車の上へ座り、昔の作業着で足を振っている。
「鐘一つにつき、一文しか話せないみたい」
夫が言った直後、一打目が鳴り終わった。
妻は時計修理を夫から教わった。
二人で店を営み、夫が急死してからも一人で続けた。
最近、近所の料理人から食事へ誘われている。
行きたいと思うたび、夫を交換するようで断っていた。
二打目。
「心残りは、店?」
妻が一文で尋ねる。
三打目。
「店は君の方が上手だから、心配してない」
腹が立つ。生前は一度も認めなかった。
四打目。
「じゃあ、何で出てきたの?」
五打目。
「君が時計台を三分遅らせてるから」
図星だった。
夫の死亡時刻は零時三分。妻は町の時計を三分遅らせれば、夫がまだ生きている時間が毎日少し残る気がして、修理のたびわざと遅らせた。
六打目。
「誰も困ってない」
と妻。
七打目。
「始発に乗る人が、毎朝三分走ってる」
夫は死んでも細かい。
八打目。
妻は一息に言った。
「食事に誘われてるけど、行ったらあなたを置いていく気がする」
鐘の余韻が長く響く。
夫は次の一打まで答えられず、眉を寄せた。
九打目。
「私を置いていくのは、死んだ日にもう済んでる」
妻は笑い、同時に泣いた。
十打目。
「ひどい言い方」
十一打目。
「残された人へ、上手な別れを言う練習をしてなかった」
最後の一打が来る。
妻は何を聞くか迷った。
許可を求めれば、夫はきっと行けと言う。
けれど生き方を死者へ決めてもらうのは、時計を三分遅らせるのと同じだと思った。
十二打目。
妻は言った。
「明日、時計を合わせて、食事へ行く。報告だけ」
夫は一文を使わず、笑った。
鐘の音が消えると、歯車の上から姿も消えた。
妻は時計台の針を正しい時刻へ戻した。
町の時計が三分進み、深夜の通りに小さな驚きが起きた。
翌晩、料理人と食事をした。
夫の話もした。
料理人は競うように美談を言わず、
「その人、時計を遅らせるほど格好よかったですか」
と笑った。
妻も、
「小言が多い人でした」
と答えた。
新しい恋になるかは分からない。
二度目の食事の約束だけした。
時計台は毎晩、正しい零時に十二回鳴る。
妻は夫の死亡時刻を忘れない。
けれど三分の中へ住み続けず、鐘と鐘の間に増えていく現在の時間を、自分で使うようになった。