卵になったソース

武田朝香が姉の部屋へ転がり込んだ夜、カルボナーラのソースは炒り卵になった。

姉は火を止めるのが遅かったらしい。卵の匂いが強く、麺には黄色い塊が絡んでいる。噛むと塊だけが弾力を残し、深い皿は膝へ置くとまだ温かかった。

「失敗した」

姉はそう言い、向かいの床へ座った。自分は食べない。

朝香は、恋人と別れたから数日泊めてほしいとしか話していない。本当は、恋人の会社の運転資金として連帯保証人になり、百八十万円の返済を求められている。会社は閉じ、恋人とは一週間連絡がつかない。督促状は職場にも届き、経理担当から個室へ呼ばれた。朝香は住所の誤登録だと説明し、その日のうちに姉の部屋へ来た。

姉は以前から、その人は信用できないと言っていた。朝香は反発し、半年も連絡を絶った。恋人が事業計画を語るたび、自分だけは信じる人でいたかった。保証人の欄へ名前を書いた夜も、姉には理解できない愛情だと思った。

いま借金のことを話せば、「だから言ったでしょう」と言われる気がした。正しさを受け取る余裕がなく、別れの悲しみだけを理由にした。姉が優しくするほど、知られたあとの軽蔑を先に想像した。

フォークで麺を巻くと、卵の塊が途中で落ちた。朝香は麺だけを食べ、黄色い塊を皿の縁へ寄せる。二口目も同じようにした。

姉は何も言わず、落ちた塊を見ている。

朝香は半分ほど食べたところで、皿の中央を空けた。縁へ寄せた炒り卵は、切れた輪のように並んでいる。

鞄から督促状を出し、空いた中央へ置いた。皿の温かさで紙が少し反った。

「別れただけじゃない」

姉は紙を読み、最初に恋人の名前ではなく、返済期限を確認した。次に、契約日の横へ小さく印をつける。

「明日、相談へ行く」

責める言葉はなかった。姉は自分が警告した話を一度も持ち出さず、相談窓口の予約画面を開いた。代わりに皿の縁へ残った卵の塊を一つ指し、「これは食べなくていい」と言った。

朝香は最後の麺を食べ、卵を三つ残した。失敗したソースを全部、自分の皿の責任にしなくてよかった。

姉は督促状を皿から取り、透明なファイルへ入れた。朝香は残した三つを捨てようとしたが、姉が皿ごと冷蔵庫へ入れた。明日、食べ直すためではなく、今夜中に処分しなくてもよい失敗として置いておくためだった。

黄色い輪は切れたままだったが、朝香の名前だけが紙の中央で一人きりではなくなった。