台所に近い席
汐音の席は、いつも台所に一番近かった。
母の退院祝いの昼食でも、そこだけ椅子が半分引かれている。立ったり座ったりしやすいように、母が用意したのだ。
妹の織江は窓際に座った。
「織江は忙しいのに来てくれて偉いわね」
母は言い、汐音には空の急須を渡した。
「あなたは気が利くから助かる」
同じ日に同じ距離を来たのに、汐音は手伝う娘、織江は招かれた娘になる。
汐音が惣菜を買い、織江が花を持ってきても、母の説明は変わらない。姉は家庭的、妹は仕事ができる。褒められる場所が違うだけで、二人とも席を立てなかった。
汐音は急須を受け取らず、台所から遠い空席へ移った。
父が生きていたころの席だった。
「そこ、お父さんの」
母の声が硬くなる。
「空いてるから」
「お茶くらい淹れてくれてもいいでしょう」
「今は食べたい」
織江が立ち上がりかける。
汐音は止めなかった。代わりに、織江は急須を自分の前へ置き、湯の場所を尋ねた。
「あなたは座ってていいのよ。汐音がやるから」
「私、お茶くらい淹れられる」
「仕事ばかりで、そういうの苦手でしょう」
織江は湯を注ぐ手を止めた。
「苦手ってことにしておくと、汐音を使いやすいから?」
母が目を見開く。
「使うなんて。お姉ちゃんは好きでやってるのよ」
汐音は箸袋を折りながら言った。
「好きな日もあった。でも、断れないのは好きと違う」
煮物の湯気が三人の間に薄く広がった。
母は「姉妹で私を責めるのね」と俯いた。
織江が何か言いかける。汐音は首を振った。慰めて境界線を消す役まで、どちらかが引き受けなくていい。
「次に来るときは、外で食べよう」
汐音が言う。
「家があるのに?」
「家だと、席まで昔のままだから」
織江も「店は三人で決めよう」と続けた。
母は返事をしなかった。それでも昼食は続いた。
汐音は途中で立たず、自分の皿を自分で満たした。織江も急須を中央に置き、三人が手を伸ばせる位置へ滑らせた。
帰る前、汐音は台所に近い椅子を、他の二脚と同じだけ深く机の下へ入れた。
次に誰が座るか、役目では決まらないように。