名前のない花束

奈津は花を買うとき、贈り先を聞かれるのが苦手だった。

友人の誕生日、先輩の送別、母の日。理由のある花束なら堂々と選べる。自分の部屋に飾る一本には、余裕のある人の趣味という感じがして、レジの前でいつも戻した。

その感覚は、写真投稿を見るようになって強くなった。恋人から届いた百本の薔薇、記念日のテーブル、婚約指輪の横の白い花。奈津は花を見るたび、誰かに選ばれた証拠のように思った。自分で買えば、選ばれていないことを飾るだけだと感じた。

奈津の部屋にある花瓶も、以前友人へ花束を贈ったときのおまけだった。空のまま棚に置き、使う機会を待っている。花をもらう予定などないのに、自分で挿すのは順番を飛ばすようでできなかった。誰かに大切にされた人が花を飾り、自分はその写真へ「素敵」と送る側。そんな役割分担を、誰に頼まれたわけでもなく守っていた。

仕事帰り、駅前の花屋に淡い紫のリンドウが並んでいた。一本だけ茎が曲がり、値下げされた束に入っている。奈津は手に取ったが、友人の記念日投稿を思い出して戻しかけた。

店員が包装紙を準備しながら、「贈り物ですか」と聞いた。

奈津はいつものように、家族へ、と答えそうになった。自分用だと言えば寂しく聞こえる気がする。けれど、店員は返事を待ちながら茎の長さを測っているだけだった。

「一本だけ、包装なしでお願いします」

贈り先は言わなかった。店員も聞き直さず、濡れた紙を茎に巻いた。

帰宅して、奈津は空き瓶を洗った。ラベルを剥がし切れず、端が白く残る。そこへリンドウを挿す。曲がった茎のせいで花は少し窓側を向いた。

写真を撮れば、誰かの花と比べてしまう。奈津はスマートフォンを置いたまま、カーテンだけ開けた。

一本では部屋は華やかにならない。恋人も記念日も増えない。ただ、窓辺に紫色が一つある。

奈津は花の名前を書いた札を作らず、誰にも見せないまま水を替えた。選ばれた証拠ではなく、今日そこに置きたかったものとして、曲がった一輪を残した。