四泊目の寝言
香坂宗一朗は二十三歳の音響専攻学生で、卒論のため眠りに関する民間伝承を集めていた。調査先の戸鳴村では、旅人の寝言を宿帳へ記す習慣がある。
一泊目「水」。二泊目「母」。三泊目「まだ」。過去の帳面には短い言葉が並ぶが、四泊目の欄だけ必ず空白だった。
宿主の聞き取り音声。
宗一朗「四日目は記録しないんですか」
宿主「《四泊目の欄に、聞こえた寝言を書いてはいけない》」
宗一朗「理由は」
宿主「それは寝言を言った人の言葉じゃないからです」
四泊目、宗一朗は枕元に録音機を置いた。午前三時、本人の声で「帳面を返せ」と入っていた。研究資料としては決定的だった。彼は朝、宿主が起きる前に一度だけ、その言葉を四泊目の欄へ書いた。
紙の下から、自分の寝息が聞こえた。
宗一朗は録音機とノートを掴み、始発バスで村を出た。帰宅して波形を確認すると、声の後ろに何百人もの鉛筆音が重なっている。
その夜、睡眠アプリが自動で録音を始めた。宗一朗は設定を切ったはずなのに、午前三時だけ毎日データが残る。
五泊目「ここではない」
六泊目「まだ宿帳の中」
七泊目「起きている方を寝かせろ」
研究室の友人へ映像を送ると、友人は「おまえ、録音中ずっと寝ている」と返した。動画では宗一朗が机へ伏せ、その隣で同じ服の誰かが宿帳へ文字を書いている。音声波形を逆再生すると、村の宿泊者名が古い順に読み上げられ、最後だけ宗一朗の名が二回入っていた。睡眠アプリの共有先には、知らない《戸鳴村宿主》のアカウントが管理者として登録されている。
録音機の残量は使うほど増え、保存先には村で眠る四日間の環境音が連続して追加された。現在時刻だけが四日目の午前三時で止まっている。
宗一朗自身には、村を出てから一度も眠った記憶がない。授業にも出て、食事もしている。
八日目の朝、スマートスピーカーがアラームを止めたあと、穏やかな声で報告した。
「香坂宗一朗さんの四泊目を継続しています」
スマホの睡眠画面には、ベッドで眠る宗一朗と、その横で端末を見ている宗一朗の二つの輪郭が表示されていた。