塩になる約束
婚礼で口にした誓いを破った者は、夜明けまでに塩になる。
デルフィは敵将マルザンとの婚姻式で、三つの約束を求められた。
夫へ刃を向けない。
城内の地図を盗まない。
南門を開かない。
「守れるな」
祭壇の向こうで、マルザンが笑った。
結婚は、降伏した町を安心させるための見世物だった。町長の娘であるデルフィを妻にすれば、占領軍は略奪者ではなく統治者に見える。半年後、住民がおとなしくなれば離縁する契約だ。
デルフィは白い手袋の下に、南門の鍵を隠していた。
今夜、地下牢から三百人の住民が逃げる。老人も、子どもも、負傷した兵もいる。北門は兵舎に近く、東門の外は崖。南門だけが森へ続いている。
「誓います」
声は震えなかった。
式のあと、侍女たちは豪華な寝室へ彼女を送り、占領軍の旗を窓へ掛けた。マルザンは酒杯を二つ用意したが、デルフィには触れなかった。
「父親を処刑した私が怖くないのか」
「怖いです」
「それも誓いにすればよかったな。夫を恐れない、と」
彼は冗談のように言い、鍵束を卓上へ置いた。南門の鍵が足りないことには気づいていない。
デルフィの父は処刑前、娘へ逃げろと言った。町長家の名も屋敷も捨てて、一人だけ生きろと。
彼女は頷いた。
あれが、父へついた最後の嘘になった。
真夜中、マルザンが眠ると、デルフィは婚礼靴を脱いだ。白い裾を切り、石廊下を裸足で走る。地下牢の錠は、料理係と厩番がすでに外していた。
南門前で、三百人が息を殺して待っている。
「開ければ、お嬢様が」
老門番の言葉を、デルフィは手で止めた。
誓いを破れば、まず指先が白くなる。痛みはない。朝日が出るころ、身体は崩れ、風に飛ばされる。遺体も墓も残らない。
それでも三百人には、森を越えた先の朝がある。
「父には、一人で逃げると約束したの」
デルフィは鍵を差し込んだ。
鉄門が軋み、冷たい夜風が流れ込む。人々が一人ずつ森へ走り出す。
最後の子どもが門を越えたとき、彼女の右手は手首まで白い結晶になっていた。
デルフィは約束を破った手で、もう一度だけ門を大きく押し開いた。