声を奪われた歌姫の喉星薬
歌姫カシアは、筆談で薬を注文した。
――今夜、たった一音だけ出せる薬がほしい。
薬屋《星屑瓶》の店主ロイは、紙から顔を上げた。
カシアの喉には、金色の首輪が食い込んでいる。劇場主との魔法契約だ。舞台以外で歌えば声を失い、契約を破ろうとすれば首輪が締まる。拍手も花束も劇場主の所有とされ、彼女には一枚の銅貨さえ残らない。
今夜の千回記念公演で、最後の一音を歌えば契約はさらに十年延長される。歌わなければ、観客の前で「声を失った歌姫」として捨てられる。
――一音で首輪を壊せると聞いた。でも声が出ない。
ロイは星形の錠剤を一粒だけ出した。
「喉星薬。失った声を全部は返しません。あなたが今、一番言いたい音だけを通します」
カシアは眉を寄せ、次の紙へ書く。
――音を選べる?
「薬は選びません。喉より先に、心が選びます」
彼女は疑いながら錠剤を飲んだ。
喉元で小さな光が灯り、金の首輪の内側へ集まる。
試しに声を出そうとしても、息しか漏れない。カシアは机を叩いた。
――効かない。
「一番言いたい瞬間ではないのでしょう」
夜、ロイは劇場の裏口まで彼女を見送った。
客席は満員。劇場主が舞台袖で契約書を掲げ、最後の一音を待っている。
カシアは歌わず、中央へ立った。
嘲笑が広がる。劇場主が首輪の鎖を引いた。
その瞬間、彼女は胸へ手を当てた。
喉星薬の光が弾ける。
「嫌」
たった一音ではなく、ひとつの短い言葉だった。
けれど、それが彼女の最も言いたかった音だった。
金の首輪に亀裂が走り、契約書が真ん中から燃える。鎖が床へ落ちた。歌姫は歌わないまま、観客へ深く一礼し、自分の足で舞台を降りた。
翌朝、カシアは薬屋へ戻った。
まだ声は掠れていたが、今度は筆談ではない。
「代金を」
銀貨の袋と、劇場から取り返した自分の楽譜を置く。
「次は声を治す薬を買います。昨日の薬とは別に」
「その注文なら、時間をかけて作れます」
「待てるわ。もう十年を急がされないから」
彼女が出ていくと、店先に一枚の公演札を貼った。
――歌わない歌姫カシア、一夜限りの朗読会。
札を読み終えた誰かが、扉を開ける。
ちりん、と星形の鈴が鳴った。