夏を渡る雪精の氷脈湯
火山麓の《冬隠れ》へ、雪精ネーヴェが転がり込んだ。
主人ホノエが抱き起こすと、彼女の袖から雪解け水が滴った。北国の使者として砂漠王へ謝罪文を届ける役目だが、夏の街道を半日進むだけで身体が半分溶けてしまう。
「夕暮れまでに国境を越えなければ、雪国と砂国が戦になります」
「冷蔵箱では?」
「使者が箱詰めで現れたら、謝罪になりません」
ホノエが案内したのは、火山の熱で湧く《氷脈湯》だった。名に反して温かい。ただし湯底を、火山が生まれる前から残る古い氷の魔力が流れている。
この湯は冬を増やさない。熱と冷気を同じ場所へ置き、どちらにも負けない境目を作る。雪精には珍しく、勇気より温度調節が必要な商品だった。
「温泉に入れば、もっと溶けます」
「表面だけです。中の冬を起こします」
ネーヴェが恐る恐る足を入れる。輪郭が少し崩れ、白い湯気となった。
「やっぱり溶けています!」
「手を上げて。指の数は?」
「五本……あります」
溶けた部分は失われず、形を変えて周囲へ残っていた。彼女は悲鳴を飲み込み、もう片方の足も入れる。湯気は逃げず、肩の周りへ薄い膜を作り始めた。
火山の熱と氷脈の冷気が、身体の外で釣り合う。溶けた一滴一滴が透明な外套へ変わっていった。
「暑い」
「それは良い知らせです」
「暑いのに、消えない」
ホノエは火鉢を一歩ずつ近づけ、膜の強さを試した。ネーヴェは三歩目で逃げかけたが、自分の腕から一滴も落ちていないのを見て踏みとどまる。
湯上がりのネーヴェは、夏の風を受けても形を保っていた。頬に赤みまで差している。
彼女は初めて日向を避けず、砂漠街道を走った。道中で透明な膜は少しずつ薄くなったが、夕暮れ前に国境へ着いた。翌朝、戦の中止を知らせる白旗が火山からも見えた。
昼すぎ、ネーヴェは一輪の氷花を持って戻る。炎天下でも溶けない花だった。
「これを代金に。帰路の分も、もう一回お願いします」
「帰りは急がなくていいでしょう」
「急がなくても、歩いて景色を見たいんです」
彼女が湯へ向かう前、玄関の火鈴が鳴った。
ホノエは二人目のため、もう一枚の暖簾を上げた。