夜のエレベーター
非常灯が消えた直後、エレベーターは十二階と十三階の間で止まった。
一人きりの箱で十分ほど助けを呼ぶと、天井から男の声がした。
「保守員です。救出します」
点検口が開き、灰色の作業服が腕を伸ばす。男は非常電話で名乗っていない私の名字を呼び、「法務部の方ですね」と付け加えた。社員証の情報が管制室へ表示されたのだろうと、そのときは納得した。
私は脚立代わりの手すりを踏み、かごの上へ引き上げられた。
男の工具箱は妙に軽かった。蓋が開いたとき、中にはドライバー一本と黒い布しか見えない。
作業服の胸に付いた会社章も、縫い目だけが残っていた。
「停電で正面玄関は使えません。非常通路から外へ」
男は懐中電灯を持ち、私を機械室へ導いた。通るたびに扉を閉め、鍵を回す。安全のためだと言うが、鍵はすべて廊下側から掛けられた。
通路の非常灯は私たちが通った直後に消えた。停電のせいではない。男の手元の送信機へ合わせ、一つずつ消されている。後戻りできない暗闇が背後に伸びた。
階段を下りた。十三、十二、十一。ところが踊り場の表示は、途中から「B2」「B2」「B2」と同じ文字を繰り返した。
「まだ地下二階ですか」
「仮設表示です」
私はこのビルの法務部にいる。今夜、役員が隠していた買収資料を持ち出し、記者へ渡す予定だった。鞄は停止したエレベーターの中に残している。
男の無線が鳴った。
『鞄は確保した。本人は?』
男は音量を下げた。
「もうすぐ避難完了です」
私は引き返した。だが閉められた扉は、こちら側に鍵穴がない。男が黒い布を広げて近づく。
非常ベルを押すと、壁の一部が横へ開いた。外気ではなく、コンクリートの小部屋が現れる。椅子、撮影用の照明、床に固定された足輪。
男は私の腕をねじり、その部屋へ押し込んだ。
「玄関は最初から停電していない。君だけを止めた」
背後でエレベーターの復旧音が響く。遠く、社員たちが普通に帰る声も聞こえた。
救出用の点検口は、閉じ込められた箱から出すために開いたのではない。
誰にも見られず、もっと深い箱へ移すために開いたのだ。