字幕のない避難訓練
教育ゲームの納品前夜、音を消したまま遊ぶと、火災訓練が始まらなかった。
正確には、始まっている。警報音が鳴り、案内役が「非常口へ」と叫ぶ。だが字幕には〈……〉としか出ず、プレイヤーは教室に取り残される。聴覚に障害のある児童も使う教材だった。
アクセシビリティ担当の小鳥遊戸灯は、字幕データを開いた。台詞は登録されている。しかし警報音と同時に表示されるため、音を示す字幕が台詞を上書きしていた。
「警報の字幕を消せば、指示は出ます」
開発者が言う。灯は首を振った。火元を探す場面では、警報が続いていること自体が手掛かりになる。音の情報を消せば別の児童が困る。
字幕欄を二段に増やす案も、すぐには通らない。画面の小さい端末では、選択肢を隠してしまう。灯は表示の優先順位を調べた。現在は後から来た情報が、前の情報を消す。警報が一秒ごとに更新されるため、台詞は毎秒消されていた。
彼女は警報を一度だけ表示し、継続中は端に小さなベルの記号を残す手順へ変えた。台詞が始まれば中央の字幕を譲り、終われば〈警報継続〉へ戻す。新しい領域を増やさず、同じ場所を時間で分けた。
修正版で、灯は音を消し、画面を白黒にし、文字を最大まで大きくした。最大文字では「非常口へ走らず移動してください」の末尾が切れた。そこで文章を削るのではなく、二行目の表示時間を一秒延ばした。重要な「走らず」を残すためだ。
灯は字幕を読む速度が遅い児童を想定し、指示が消える前に一度立ち止まった。再開しても途中の文からではなく、避難先を含む行がもう一度表示された。
午前四時、無音の教室でベルの記号が点滅し、案内役の指示が最後まで読めた。児童役のテスターは、机の間を歩いて非常口へ着いた。
「音がある人には、変わって見えませんね」
「変わらないように直しました」
灯は答えた。
納品データを閉じた直後、次の学校から連絡が届いた。色覚設定を変えると、消火器とゴミ箱が同じ色に見えるという。
避難訓練は終わった。灯は音のない警報を消し、今度は色のない火を見つめた。