展示番号ゼロ
閉館後、死んだ彫刻家だけが展示室で私に話しかけた。
夜警を始めた初日、主任は「作品へ返事をするな」と念を押した。展示室には人の形をした石像が十七体並び、壁には題名と没年だけが記されている。入場券売り場はなく、昼間の客は皆、花を持って来た。
午前零時、中央の胸像が目を開けた。
『新しい番人か』
声の主は、この場所を造った彫刻家だった。三年前に死に、未完成の自画像だけを残したという。
「なぜ話せる」
『石は、忘れられた声を長く抱く』
彼は毎晩、作品の由来を語った。私は巡回表へ題名を書き写したが、朝になると文字は人名と命日に変わっていた。主任は印刷ミスだと言った。眠る母子像は空襲で亡くなった親子、杖を持つ老人は海難事故の船長、顔のない青年は名前すら判明しなかった遺体。私は美術館が、死者を題材にした特別な展示をしているのだと思った。作品の前には感想帳ではなく、小さな水鉢と線香立てがあった。主任は「地域独特の鑑賞作法だ」とだけ説明した。
けれど妙なことが多い。警報装置は作品が動いても鳴らず、監視カメラは床しか映さない。夜明け前には石像の足元へ線香の灰が増え、壁の「作品番号」は家族単位で枝分かれしていた。床の案内線は出口ではなく、石像の足元で途切れている。館内放送の代わりに、遠くで読経が聞こえる夜もあった。
『私の番号を探してくれ』
彫刻家は言った。
自画像の台座には札がない。収蔵台帳を調べても、展示番号ゼロとだけある。主任へ尋ねると、「ゼロは展示品ではない」と顔を曇らせた。
その夜、彫刻家は自画像の背面を叩くよう頼んだ。空洞の音がした。裏蓋を外すと、石の中から白い壺と、折り畳まれた埋葬許可証が出てきた。
『やっと私も、作品になれた』
朝、重い正門が開いた。花束を抱えた家族が、墓苑の案内人に導かれて入ってくる。案内板には《立体墓碑区・第零納骨室》とあった。
ここは美術館ではなかった。十七体は展示作品ではなく、故人を象った墓碑だった。
展示番号ゼロとは、どこにも葬られず、自分の墓苑をさまよっていた彫刻家が、ようやく入った最初の納骨室の番号だった。