工場長の作業台
工場見学の日、青柳森千鶴美は保護者用の白衣を見て言った。
「主人がこの工場の工場長だから、製造のことは何でも知ってるの。危ない場所へ行かないよう、私の後についてきて」
篠崎ヶ谷文佳の夫が「製造業」と聞くと、千鶴美は親切そうに微笑んだ。
「ラインの作業員さん? 工場長まで上がるのは一握りだから大変よね」
文佳は、夫は設計にも関わっているとだけ答えた。
見学中、千鶴美は立入禁止線を越え、息子を最新ロボットの前へ立たせて写真を撮った。若い技術員が止めると、夫の名前を出して叱りつける。
そこへ千鶴美の夫・柳生原正敬が走ってきた。
「すぐ線の外へ出てくれ。停止中でも危険だ」
千鶴美は不満そうに腕を組んだ。
「工場長の家族なのに、少しくらい――」
正敬は後方を見て姿勢を正した。
篠崎ヶ谷文佳の夫・篠崎ヶ谷冬成が入ってきたからだ。
「篠崎ヶ谷社長、視察お疲れさまです」
冬成は、工場を含む精密機械グループの代表取締役であり、最新ロボットの基本機構を設計した技術者だった。一般の作業服で現場へ入り、若手と同じ作業台を使うため、文佳は夫を単に製造業と説明していた。
千鶴美は夫の腕をつかんだ。
「あなたが工場で一番偉いんじゃないの?」
「僕はこの工場の責任者。社長は国内外二十工場の責任者だ」
冬成は若い技術員へ、禁止線を守らせた判断を褒めた。事故を防ぐ人が、肩書に遠慮してはいけないと話す。
さらに千鶴美が保護者へ配っていた〈工場長家族限定・優先採用相談〉のカードも発覚した。正敬は採用権限など持っておらず、顔色を変えて全枚数を回収した。
「子どもの就職まで、僕の名で約束しないでくれ」
千鶴美は文佳へ囁いた。
「社長夫人なら、息子さんを将来役員にできるでしょう?」
文佳は安全線の内側で働く人々を見た。
「役員になる前に、線を守れる人になってほしいです」
見学の最後、冬成は社長室ではなく若い技術員の作業台へ座り、改善案を聞いた。
正敬が社長へ報告書を差し出し、千鶴美が越えた黄色い線が床へ引き直された瞬間、工場長夫人として全員を従わせようとした千鶴美だけが、夫の作業台の本当の位置を知った。