愛情の同意
志岐邦彦は毎朝、弟の病室前で共感スコアを測る。七十以上なら、昏睡中の患者に代わって治療へ同意できる。家族だからではなく、患者の苦痛を正しく想像できる者に決定を任せる。それが病院の唯一の条件だった。
邦彦は三か月、ずっと七十台だった。弟の体温を測り、髭を剃り、返事のないニュースを読んで聞かせるたび、端末は彼を適格者と認めた。
弟の嶺が急変した朝、数値は六十九になった。
医師は手術同意書を端末に出した。
「成功率は五割です。今決めなければ間に合いません」
邦彦が手首を置く。
《共感六十九。代理同意権なし》
「昨日まで七十四でした。下がったのは、嫌いになったからじゃない」
「今の数値だけが有効です」
昨夜、邦彦は眠ったままの弟に向かって「もう疲れた」と言った。仕事を辞め、家賃を滞納し、毎日身体を拭いた。目を覚ましたら一発殴るとも言った。その怒りが一ポイントだけ残っている。
「手術してください。責任は俺が取る」
《患者の苦痛より自己負担を重視する傾向を検出》
六十七へ下がった。
そこへ、十年以上会っていなかった父の鉄蔵が来た。借金を残して家を出た男だった。病院から連絡を受け、初めて嶺の状態を知ったという。
鉄蔵が手首を置く。
《共感七十三。代理同意権を付与します》
「待ってくれ」
鉄蔵は同意書を読まず、手術拒否を選んだ。
「これ以上、苦しませたくない」
邦彦には、その言葉が父自身の罪悪感を終わらせたいだけに聞こえた。だが端末は七十五を示した。
医師が手術準備の中止を指示する。
邦彦は弟のベッドへ駆け寄った。冷たい指を握り、子どもの頃、二人で父の帰りを待った夜を思い出した。
《共感八十一》
ようやく条件を超えた画面の上に、別の文字が重なった。
《先行同意者による決定が確定しています》
鉄蔵は廊下で泣いていた。その数値は八十八まで上がり、正しい決断をした者として緑色に光っていた。
邦彦は弟の手を握り続けた。
今なら誰より苦痛を想像できるのに、同意書はもう開かなかった。