打ち上げ場所の反対側

大規模花火大会の企画書を前に、乃々香は採用通知のメールを閉じたり開いたりしていた。

演出責任者。念願の役職なのに、会場の表側へ出ることはほとんどない仕事だ。

高校時代、町の夏祭りで花火係のボランティアをした。幼なじみの敦也と、立入禁止区域のさらに奥で、点火場所へ資材を運ぶ係だった。

本番が始まると、安全確認のため二人は観客に背を向け、暗い河川敷を見張った。

最初の花火が上がる。

空の色は見えない。背後が白く瞬き、少し遅れて歓声と音だけが届いた。

「最悪。何も見えないじゃん」

乃々香が言うと、敦也は振り返らずに笑った。

「打ち上げ場所の反対側なんだから当たり前」

二人は一年かけて祭りを楽しみにしていた。浴衣も着ず、屋台も回れず、花火さえ見られない。乃々香は不満を並べた。

そのとき、対岸の観客席が次の光で明るくなった。何千人もの顔が一斉に空を見上げ、口を開けている。子どもを肩車する父親、手をつなぐ老夫婦、泣きながら笑う女の子。

「こっちからしか見えないものもある」

敦也が言った。

彼は花火師になりたかったが、家族には反対されていた。

「空に上がる方だけが花火じゃない。上げる前の暗さも、見た人の顔も、全部含めて俺は好き」

乃々香はそれまで、舞台の中央にいる人だけが何かを成し遂げるのだと思っていた。けれど誰にも見られない場所で、敦也の横顔は花火より真剣だった。

現在、敦也は別の土地で花火師をしている。乃々香はイベント会社に入り、観客から見えない導線や安全計画ばかり作ってきた。表舞台に立てない自分を、どこかで脇役だと思っていた。

企画書の表紙には、〈裏方統括〉とある。乃々香は高校時代のスタッフ腕章を机の引き出しから出し、手首に一度だけ巻いた。

採用承諾を押す。

今年の大会でも、完成した花火を正面から見る時間はないだろう。それでも、見えない側に立つことを、もう「見られない」とは呼ばない。

窓の外で遠雷が鳴った。乃々香は新しい図面を開き、まだ暗い河川敷に、最初の安全灯を置いた。