拍手を四袋

劇場の裏口に一夜だけ開く市場で、オデッサは拍手を買った。布袋の中で、乾いた音がぱちぱち跳ねている。

「一袋で百人分。ただし代金は、あなたが愛している言葉を一つ。払えば、その言葉を聞いても読んでも、意味が分からなくなる」

拍手屋はそう説明した。

明日の舞台で客が満足すれば、劇場は残る。失敗すれば建物は倉庫として売られ、仲間は散る。新作を書いたのは、亡くなった座長の娘だった。台詞は不器用だが、オデッサはこの舞台を一度だけ満席の音で包んでやりたかった。

一袋目の代金には、「おかえり」を選んだ。

遠征から戻るたび、座長が必ず言った言葉。店が家だった頃の合図。

二袋目には、「もう一度」。

失敗した役者へ、座長が怒鳴る代わりにくれた言葉。

三袋目には、「好き」。

舞台にも、人にも、怖がってあまり言えなかった言葉。

札へ書くたび、文字がただの線になった。拍手屋が試しに「おかえり」と言っても、オデッサには異国語のように聞こえた。「もう一度」と頼まれても、何を求められたか分からない。「好き」と書かれた古い手紙は、意味のない紙になった。

三百人分では足りない。客席は四百二十席ある。空いた場所の音は、舞台の上からよく分かる。

「四袋目を」

拍手屋は新しい札を置いた。

残っている愛する言葉を、オデッサは数えた。仲間の名。亡き座長の名。劇場の名。明日の芝居で最後に言う台詞。

その台詞は、主人公が自分の道を選ぶ一言だった。意味を失えば演じられない。

仲間の名を失えば、呼べないのではなく、聞いても誰のことか分からなくなる。

市場の灯が弱くなった。舞台袖から、明日の稽古を続ける足音が聞こえる。皆、劇場を残すために眠らず働いている。

オデッサは自分の名を書こうとした。けれど、自分を愛していると胸を張れるほどではなく、札は代金として受けつけなかった。

拍手屋は黙って待った。

やがてオデッサは、劇場の名を書いた。亡き座長が最初の看板に刻み、皆が帰る場所として呼んできた二文字だった。

文字が線へ変わる直前、彼女は看板の音を口の中で何度も転がした。

そして札を差し出した。