提案書に残った歌詞

川端円香は、企画書の余白にだけ本音を書く癖があった。

煮詰まると、男性アイドル〈VERVE〉の透の曲から、好きな一節を自分なりに言い換えて打ち込む。提出前に消す、誰にも見せない助走だった。透の言葉を借りると、売上やターゲットの数字だけでは届かなかった生活の輪郭が見える。けれど『アイドルから学んだ』と言えば、企画そのものまで軽く扱われそうで、いつも痕跡を消していた。

化粧品会社への新商品提案で、円香は仮の一文を消し忘れた。

〈きれいになるのは、誰かに選ばれるためではなく、自分で今日を選ぶため〉

会議室の大画面に映った瞬間、上司の神代敬一が眉を寄せた。

「ここだけ急に詩的だな。誰のコピー?」

円香は咄嗟に、自分の言葉ですと言いかけた。だが、元になった曲を隠して手柄だけ取るのも、好きだと認めるより恥ずかしかった。

「VERVEというアイドルの曲から着想しました。歌詞そのものではなく、ファンとして受け取った意味を企画に置き換えています」

取引先のブランド責任者、三田村令子がページを戻した。

「なぜ、それがこの商品の顧客に効くと思うんですか」

円香は、ライブ会場で年齢も服装も違う人たちが、同じ曲の前でそれぞれ自分らしく立っていた光景を話した。推し活という言葉も、透の名前も、ぼかさなかった。

令子はしばらく黙り、やがて言った。

「その観察が欲しかった。ファンであることは、立派な生活者調査ですね」

企画はその一文を軸に組み直すことになった。ただし引用ではなく、円香自身の消費者理解として根拠を追加する。好きだけでは通らないし、好きだから見えたものは確かにあった。

修正版の参考欄に、円香は小さく記した。

〈着想:VERVEの楽曲、およびライブ参加者の行動観察〉

神代が「アイドル名まで必要か」と聞く。

「必要です。私がどこから考え始めたかなので」

円香は削除キーに触れず、保存を押した。余白に隠していた言葉が、初めて提案書の本文になった。