揺れる厨房のスープ

外洋へ出て二時間、客船のギャレーが大きく右へ傾いた。波切一真の前で、八十人分のスープ鍋が作業台の端まで滑った。彼は両手で押さえ、火を止めた。

食器棚の扉が鳴り、車輪付きの作業台が留め具の中で小さく跳ねていた。客席では船酔いした人も多く、温かいスープの注文が予定より増えている。だからこそ、一度の事故でギャレー全体を止めるわけにはいかなかった。

「予定どおり一鍋で作れば、配膳が早いです」

新人は鍋を中央へ戻そうとした。一真は先に台のストームレールを確かめた。清掃後に片側の留め具が掛かっていない。鍋が動いたのは揺れのせいだけではなかった。

船内放送では、これから一時間さらに波が高くなるという。満杯の鍋を再び火へ掛ければ、次の傾きで中身が人へかかる。床へこぼれれば、熱さだけでなく滑って逃げられなくなる。

サービス係のワゴンにも同じ考えを使った。杯を上段いっぱいに並べず、下段へ十杯ずつ置き、空いた場所へ滑り止めを挟む。厨房で無事でも、客席へ運ぶ途中で倒れれば同じことだった。

一真は大鍋を使わず、低い鍋四つへ分けた。バッチを小さくし、二つずつ加熱する。使わない鍋と包丁は戸棚へ戻し、レールの留め具には二重の確認札を付けた。配膳担当には、一度に八十杯を並べず、二十杯ずつ客席へ運ぶよう伝えた。

「遅れませんか」

「こぼしたら、もっと遅れる」

次の大きな波で、吊られたお玉が真横へ振れた。四つの鍋は低い縁の内側で揺れただけだった。一真は揺れが戻る瞬間に火を弱め、鍋を外す。二十分後、最初の二十杯が客席へ出た。最後の杯まで温度は落ちなかった。

床には一滴も落ちなかったが、一真はそれを運が良かったとは書かなかった。鍋の数と置き場所を航海日誌へ残した。

夜食のサービスが終わる頃、海は少し静かになった。新人がレールを洗い、今度は留め具を声に出して確認した。

午前四時、朝食の仕込み表が貼られた。最初の欄には、百二十人分の味噌汁と書かれていた。一真は大鍋ではなく、低い鍋を四つ並べた。