星を落としたスープ
苅谷志門の店が有名になったのは、死んだ料理評論家・須玖部礼山へ電話するようになってからだった。
礼山は生前、志門のスープを「丁寧なだけで、食べる理由がない」と酷評した。その一文で予約は消えた。半年後に礼山が亡くなると、志門は腹立ちまぎれに死者回線へつないだ。
「どうすれば、食べる理由が出る」
『まだ作ってたのか』
礼山は材料を聞き、火の入れ方を問い、塩を入れる瞬間まで指示した。完成したスープを味わえないくせに、言葉だけは鋭かった。
志門は毎晩電話した。仕込み中も礼山の声を思い出し、若い料理人が提案すると「先生なら却下する」と聞かずに捨てた。礼山の助言で、焦がした玉ねぎの苦み、干した柑橘の香り、冷たい油の一滴を組み合わせた。新作〈星を落としたスープ〉は評判になり、予約は半年先まで埋まった。
雑誌は志門を天才と呼んだ。だが新しい皿を考えるたび、彼は厨房の隅で電話した。礼山が「違う」と言えば捨て、「出せ」と言えば客へ出した。
ある日、小学生の客がスープを残した。
「まずかった?」
「おいしいけど、怒られてる味がする」
志門は笑えなかった。
その夜、礼山へ伝えると、向こうは大声で笑った。
『子どもの方が正確だ』
「あなたの味だから?」
『違う。君が、僕に採点されるために作ってる味だ』
「最初に酷評したのはあなたでしょう」
『死んだ評論家の一文に、いつまで店を経営させる気だ』
志門は初めて電話を途中で切った。
翌日、予約客へ謝り、星のスープをメニューから外した。代わりに、開店当初から賄いで作っていた豆のスープを出した。亡き父が風邪の日に作った、見栄えのしない味だった。
常連の半分は失望し、雑誌の評価も下がった。売上が落ちた月、志門は端末へ手を伸ばしたが、番号を押さずに厨房へ戻った。だが例の小学生は、鍋をのぞいて言った。
「今日は、こっち見てる味がする」
志門はそれから、礼山へ電話しなかった。批評を恐れなくなったわけではない。恐れたまま、自分の皿を出すことにした。
店の壁には、最初の酷評記事を残した。
その下へ、自分の字で一行だけ書いた。
〈食べる理由は、食べる人の前に立つこと〉