最後の駅伝区間
陸上部の同窓会が終わるころ、平岡征也は古いバトンを持ち出した。
「校庭、一周だけ走らない?」
植松晴菜はパンプスを脱ぎ、朝比奈湊はネクタイを外した。三人は夜の母校へ戻り、照明の消えたトラックに立った。高校最後の駅伝で、同じ区間をつないだ三人だった。スタンドには同窓会の紙飾りが一枚飛んできて、濡れたレーンへ貼りついていた。
「順番、覚えてる?」と湊。
「征也、私、湊。アンカーは別の子」
その名前を誰も口にしなかった。卒業後、連絡は途切れ、今夜の同窓会にも来なかった。四人で全国大会を目指した話だけが、何度も美談として紹介された。
征也がスタートラインに立つ。彼は来月、東京の営業職を辞め、故郷で母親の介護をしながら中学生のクラブを指導する。
晴菜はスポーツ用品会社の海外部門へ移り、ケニアに赴任する。競技者ではなく、現地の女性ランナーの契約を支える仕事だという。
湊は市民マラソンの常連だったが、今年で走るのをやめる。四月から調理師学校へ通い、駅前に朝食店を開くつもりだった。
「走らない人が、なんで最後?」と晴菜。
「昔から、受け取ったものを持っていく役だったから」
征也が走りだした。革靴の音は重く、百メートルで息が上がった。それでも晴菜へバトンを渡す。晴菜は裸足で笑いながら曲線を抜け、湊の手へ押しつけた。
湊はゴールへ向かわず、かつて四人目が待っていた交換区域で止まった。
「そこから先、誰もいないよ」と征也。
「知ってる」
湊はバトンを白線の上へ置いた。三人はゴールラインを越えないまま、芝生へ座り込んだ。記録も拍手もなく、時計だけがそれぞれ違う時刻を示していた。
「次に会うとき、走れるかな」と晴菜。
征也は「走らなくていいだろ」と答えた。
三人は校門で別れた。征也は山側、晴菜は空港方面、湊は開店候補の商店街へ歩いた。
翌朝、陸上部の生徒が交換区域で古いバトンを見つけた。名前は四人分刻まれていたが、最後の一本だけ、ゴールへ運ばれずに残っていた。