朝市の買い物袋

 大鹿巌は、港町で小さな船を持っていた。

 二十四歳の雨森悠真は、都会を離れて漁を学びに来た若者で、巌の家の空き部屋へ住んでいる。

 血のつながりはなく、師弟と呼ぶには悠真の失敗が多く、同居人と呼ぶには巌の世話が細かかった。

 日曜の朝市へ、二人で行った。

 巌は魚を見ず、野菜の店へ向かう。

「漁師なのに、大根を買うんですね」

「魚は家にある」

「大根、一本は多い」

「お前が食う」

「僕の予定に入ってない」

「胃袋に予定を訊くな」

 悠真は勝手に蜜柑を一袋、籠へ入れた。

「甘いものは不要」

「巌さん、毎晩一個食べてる」

「観察するな」

「同居人なので」

 結局、蜜柑も買った。

 帰宅して、大根を半分は煮物、半分はおろしにした。

 巌が鯖を焼き、悠真が味噌汁を作る。

 悠真は味噌を入れすぎ、巌に湯を足された。

「薄くなった」

「濃かった」

「家の味は?」

「今日の中間」

 湯気に大根と味噌の香りが立った。

 昼、二人は庭の低い卓へ座った。

 焼いた鯖へ大根おろしを載せる。

 悠真は骨を取るのが遅く、巌は自分の皿から無言で太い骨を外した。

「子ども扱いですか」

「網を直す手を傷つけるな」

「では仕事上の配慮」

「そういうことにしておけ」

 食後、巌は蜜柑を一つむいた。

 白い筋を丁寧に取り、半分を悠真へ渡す。

「甘いもの不要では?」

「買ったものは食う」

「僕が買った」

「家計は一緒」

 いつからそうなったのか、悠真は訊かなかった。

 夕方、朝市の紙袋を畳む。

 底には大根の土、蜜柑の葉、魚屋からもらった氷の水滴。

 悠真は次の日曜の買い物をメモした。

〈味噌。葱。巌さんの煎餅〉

 巌が覗き、

「煎餅は不要」

 と言った。

「毎晩食べてる」

「観察するな」

 二人の笑い声が、潮風の入る台所へ残った。

 家族というほど素直ではなく、他人というには互いの好物を知りすぎている。

 朝市の袋から漂う大根の土と蜜柑の香りが、その曖昧な間を、毎週少しずつ温かな食卓へ運んでいた。窓辺の蜜柑は夕日でぬるくなり、剥く前から甘い匂いを部屋へ置いていた。