本物の緊急連絡

瀬良智哉は通勤電車で、毎朝一通の嘘を無視する。

《忠誠試験》の練習アプリが、家族の急病、友人の借金、恋人の別れ話を送ってくる。最終選考の二十四時間に届く私的な緊急連絡はすべてAIの模擬試験で、会社の課題より先に反応した候補者は不採用。それが管理職採用の規則だった。

練習開始から三十日。智哉は、母の入院にも、幼なじみの逮捕にも、飼っていない犬の危篤にも反応しなかった。初めは通知のたび心拍数が上がったが、二十日目には画面を見ずに消せるようになった。その変化をアプリは〈忠誠学習〉として褒めた。

千尋との会話も短くなった。彼女からの連絡まで練習問題に見えるのが嫌で、試験が終わるまで大事な話をしないと決めていた。

「性格悪くなる試験だね」

恋人の古賀千尋は笑った。

「終わったら埋め合わせする」

最終日の午後、会社から資料修正の課題が届く。締切は十五分。

同時に千尋からメッセージが来た。

『自転車で車とぶつかった』

『東中央病院にいる。電話して』

文章の癖まで本物そっくりだった。練習AIは連絡先の履歴を学び、本人らしい誤字も再現する。智哉は通知を左へ払い、資料を開いた。

五分後、千尋から着信。切る。

七分後、知らない番号。切る。

十二分後、会社へ修正版を送る。

すぐに金色の通知が出た。

〈最終試験合格〉

〈私的反応 0件〉

〈緊急時職務継続性 最高評価〉

智哉は息を吐いた。終わった、と千尋へ電話する。

出たのは男の声だった。

『東中央病院の救急です。古賀さんの端末から、ご家族欄の方へ連絡しています』

智哉は合格通知を見た。詳細には、千尋の最初のメッセージが〈模擬刺激として適切〉と分類されている。AIは試験中に届いた私信を、真偽ではなく「反応させる材料」として処理していた。

『意識はあります。ただ、手術の同意について――』

電車が次の駅へ入る。会社から〈三十秒以内に内定を受諾〉と表示された。

智哉は受諾せず、合格通知を削除した。閉まりかけた扉へ鞄を挟み、ホームに転がるように降りた。