歯型についた付箋
水無瀬和奏は、宅配便の集荷が来る前に退職届を出そうとしていた。
歯科技工所で最後に仕上げたのは、二人分の白い被せ物だった。ケースには患者番号A318とA381。姓は同じで、納期も同じ。和奏が箱へ入れようとしたとき、歯型に貼られた付箋の色が気になった。
研磨機の音が止むと、作業室には石こうの粉が雪のように浮いていた。被せ物はどちらも数ミリの白い塊で、知らない人には同じに見える。片方の患者は卒業式を三日後に控え、もう片方は長く治療を続けていると指示書にあった。けれど一つ間違えば、削らなくてよい歯を削り、患者はもう一度麻酔を受ける。
A318は前歯のはずなのに、付箋には奥歯用を示す緑の線がある。もう一方の被せ物は、写真より少し明るい。
「番号が合ってるなら送って。集荷を逃すと明日の診療に間に合わない」
所長は言った。
和奏は設計データの作成時刻を開いた。スキャン画像のファイル名だけが入れ替わっている。受付時に手書きした番号の三と八が似ており、データ登録で逆になったのだ。
「二箱とも止めます」
和奏は歯科医院へ連絡し、口腔内写真と形状を再確認した。前歯用は研磨をやり直し、奥歯用は噛み合わせ面を調整する。集荷は見送り、夜便へ切り替えた。
新人の壮真が、受付票を握りしめた。
「僕が入力しました。弁償します」
「一文字で別の人になる仕組みを、入力した人だけの責任にしない。次からは番号、部位、色の三つで照合する」
和奏は箱のラベルを、番号だけでは印刷できない設定へ変えた。夜便には間に合い、医院からは翌朝の予約を動かさずに済むと返信が来た。
所長は、入力した壮真の始末書だけで処理すると言った。
和奏は三項目の照合表を壮真の机へ置き、事故報告の原因欄を〈個人の入力ミス〉から〈番号だけで出荷できる工程〉へ直した。誰か一人を替えて回す検品を、改善とは呼びたくなかった。
退職届を提出し、研修時間が勤務に含まれる病院内技工室の内定書へ署名した。
集荷箱には正しい名前を、次の契約書には自分の名前を書いた。