死の落書きを消す夜
城壁落書き消しのヘクサンは、戦勝標語も恋人の名前も同じ手順で消した。
許可を得ず壁へ書かれたものは、どれほど美しくても落書きだ。役所の上官は「判断せず消すだけの仕事」と彼を見下したが、ヘクサンはその単純さを信頼していた。
技能も迷いのない一文だった。
【落書き消し:所有者の許可なく記された文字と線を消去する。】
月のない夜、王都を囲む城壁に巨大な赤い文字が現れた。
《夜明けまでに、内側の命をすべて徴収する》
文字は東門から西門までつながり、細い線となって家々へ伸びた。眠る市民の腕には赤い名前が浮かぶ。国外追放された呪字魔女が、王都そのものを一枚の契約書に変えたのだ。
宮廷魔術師が一文字を削ると、その傷が百人の腕へ移った。騎士が壁を壊せば、落ちた石の数だけ人が倒れる。
「術者を探せ。壁には触れるな」
命令が下る中、ヘクサンは洗浄桶を引いて東門へ向かった。
上官が彼の前へ立つ。
「聞こえなかったのか。これは落書きではない。大規模呪術だ」
「この文字を書く許可は出ていますか」
「出ているわけがない!」
「では、落書きです」
ヘクサンは刷毛へ洗浄液を含ませ、最初の赤線をなぞった。
文字が音もなく白くなる。
市民の腕からも同じ線が消えた。呪術は強力だったが、城壁の所有者である市民から許可を得ていない。その一点で、技能の対象から逃れられない。
彼は走った。
門、塔、兵舎、倉庫。刷毛を滑らせるたび、死の文章が途切れていく。遠くから魔女が呪力を注ぎ、消した先へ新しい文字を書き足す。
《清掃夫ヘクサン、最初に死ね》
自分の名が城門いっぱいに燃え上がった。
ヘクサンは足を止めず、その名を真横へ一刷きした。
「私も許可していません」
最後の一画が消えた瞬間、王都中の赤い名前がほどけた。行き場を失った呪いは城外へ逆流し、森に潜んでいた魔女の杖だけを真っ白にする。
夜明けの鐘が鳴る。
市民が城壁へ集まると、そこには死の宣告も、ヘクサンの名もない。ただ、長年の落書きまで消えた石壁が朝日に輝いていた。
洗浄桶の側面に刻まれた職名も白紙となり、金の文字で書き直される。
【職業「城壁落書き消し」が上位職「運命白紙師」へ書き換えられました】