母の名を書かない一問目

『第一問。あなたを最も愛する者の名を書きなさい』

 霊術女学院の試験用紙。机には黒い羽根ペンが一本。小夜はその一文を見ただけで、胸の奥が冷えた。

 前の人生では、迷わず母の名を書いた。すると紙が淡く光り、合格に近づいたと思った。帰宅した母は小夜を見て、「どちらさま」と言った。名を書くことで、相手から自分に関する記憶を奪う契約だったのだ。

 学院へ抗議しても、説明文を読まなかった受験生が悪いと追い返された。説明は黒インクの下に黒字で隠されていた。

 今、試験監督が同じ声を響かせる。

「一問目は簡単です。思い浮かんだ名を、そのまま」

 前の小夜は「はい」と答えた。

 今度は黒い羽根ペンを折った。

 乾いた音が教室へ走る。

「何をしているの!」

「解答を拒否します」

「白紙は失格よ」

「なら、この問題を出した方も失格です」

 小夜は折れたペン先で、問題文の下を軽くこすった。黒い塗料が剥がれ、隠された細字が銀色に浮かぶ。

『記名された者は、受験者に関する記憶を永久に失う』

 教室中で息を呑む音がした。すでに名を書いた受験生が悲鳴を上げる。

「消しなさい!」

「通常の消し砂では契約は切れません。でも、契約筆そのものを折ればいい」

 小夜が床へ落とした黒ペンは、二つに割れている。用紙の光が逆流し、書かれた名前が次々と消えた。受験生たちの胸元に浮かんでいた細い鎖も砕ける。

 監督が逃げようとするが、学院の守護像が扉を塞いだ。隠し契約は校則違反。守護像は出題者を自動で拘束する。机の引き出しからは、過去の受験生が書いた家族の名簿が束になって現れた。奪われた記憶の数だけ、像の鎖が太くなる。

 小夜の机だけ、白紙の用紙が金色へ変わった。

【契約術適性:最高】

【倫理審査:合格】

 そのとき、鞄の中の通信石が震えた。

 前の人生では、母から「あなたは誰?」と届いた時刻。

 小夜は息を止めて石を開く。

『試験どう? 帰ったら桜餅、一緒に食べようね』

 未来が変わった最初の証拠を、小夜は両手で抱きしめた。