沈黙は違反です

戸張麻琴は、高齢者相談回線の応答員だった。

会話AIは、三秒以上の沈黙を《関心低下》と判定する。適切な相槌、前向きな言い換え、解決策の提示で応答信用が上がり、黙っていると給料も生活点も下がる。

麻琴は優秀だった。

「それはおつらいですね」

「明日の楽しみを一つ探しましょう」

「専門窓口をご案内します」

どんな話にも、規定秒数以内で言葉を返した。

ある深夜、老人から電話が来た。

「今日、妻の服を捨てた」

麻琴は定型文を開いた。だが老人は続けた。

「五十年、同じ家にいた。捨てたら部屋が広くなりすぎた」

それきり黙った。

画面に《相槌を入力してください》と表示された。麻琴は口を開きかけたが、受話器の向こうから、かすかな衣擦れと呼吸が聞こえた。何かを解決してほしい声ではなかった。広くなりすぎた部屋に、誰か一人いてほしいだけなのだと思った。

麻琴は黙った。

三秒、十秒、一分。警告が赤くなり、応答信用が減っていった。二十二分後、老人が言った。

「まだいるかい」

「います」

「それだけでよかった」

通話が終わると、麻琴の点は解雇基準を下回っていた。翌朝、会社は《支援放棄》を理由に契約を解除した。高信用者用の保育枠も失い、息子を遠い園へ通わせることになった。

数か月後、あの老人から手紙が届いた。住所は会社が伏せていたはずだが、彼は麻琴の名を聞き取り、市内の同姓者へ何十通も送ったらしい。

――あの夜、妻が死んでから初めて、急いで元気にならなくていいと思えました。

麻琴は駅前の空き店舗を借り、時間制の相談所を始めた。看板には《答えません。急がせません》と書いた。信用認証がないため公的補助は受けられず、料金を払えない人も多い。

それでも椅子は毎日埋まった。

麻琴は以前より貧しくなり、通勤も長くなった。だが人が黙ったとき、点の落ちる音ではなく、その人が言葉を探す時間を聞けるようになった。

沈黙の長さを料金にも罪にも換えないことが、その部屋の唯一の規則だった。