海鳴りの貝殻を割らない

七歳の湊生は、夜明けの浜で白い貝殻を両手に載せていた。殻には波のような銀線が走り、耳を近づける前から心臓と同じ速さで震えている。

潮守の家に生まれた子が、海神へ願いを届ける継承式。

兄の波瑠が石を差し出し、前の人生と同じ笑顔で言う。

「割れば海神が願いを聞く。思いきりやれ」

前の湊生は信じ、貝殻を砕いた。

その瞬間、沖の守護波が消えた。兄は「湊生が禁じられた神殻を壊した」と告発し、次代の潮守になった。村は三年後の大波で沈み、湊生だけが追放先で生き残った。波瑠は結界石を商船組合へ売って逃げ、浜に残った者たちは最後まで湊生の呪いだと信じた。彼は救援船の上から、家々の屋根が海へ消えるのを見た。

死ぬまで耳に残ったのは、割れる直前、貝殻の中から聞こえた「やめて」という声だった。誰にも信じてもらえなかったその二音を、湊生だけは波音と取り違えなかった。

石がまた差し出される。

湊生は受け取らず、貝殻を耳へ当てた。

『割るな。持ち主の名を呼べ』

かすかな海鳴り。

「この貝殻の持ち主は誰?」

兄の笑みが崩れる。

「お前に決まってる。早く割れ」

「違う。これは海神様の声を封じた殻だ」

湊生は未来で覚えた古い祝詞を唱えた。ただし最後の一節だけを変える。

破壊を願う言葉ではなく、解放を願う言葉へ。

白い貝殻が自ら開き、中から月色の真珠が浮かんだ。

真珠の光が波瑠の袖を照らす。そこには神殻を偽物とすり替えた印と、沖の結界を売るための密約書が隠されていた。

村人たちが息を呑む。

波瑠は密約書を海へ投げようとしたが、波が逆巻いて紙を湊生の足元へ戻した。

前の人生では継承式の直後、沖の青い光が一本ずつ消えた。

今、水平線に七本の光柱が立つ。

海神の声が浜全体へ響いた。

『破壊を拒み、声を聞いた者を潮守とする』

兄の胸から偽の継承紋が剝がれ、湊生の掌へ波の印が宿る。

村長は前の人生で湊生を追放した杖を砂へ置き、深く頭を下げた。

「次代の潮守様。海が初めて、あなたのお名前を呼んでいます」