湿った燐寸箱

白石初音は、喫茶こまどりのカウンターに、小さな燐寸箱を置いた。燕の絵と店の古い電話番号が印刷され、角は水を吸って膨らんでいる。祖母の裁縫箱から見つかったものだった。

祖母は週に一度この店へ来て、珈琲を飲みながら手紙を書いたという。誰に宛てた手紙か、初音は知らない。祖母の葬儀で母と口論して以来、初音は実家へ帰っていなかった。介護を任せきりにしたと責められ、仕事を辞めて通っていた自分の苦労を否定された気がした。母の番号は消していないが、着信を拒否したまま九か月が過ぎた。

燐寸箱の側面には、鉛筆で別の番号が書き足されていた。数字は母が結婚前に住んでいた家のものだった。祖母はこの店から娘へ電話をかけ、話し中なら手紙を書いたのかもしれない。けれど、確かめる相手はもういない。

初音は箱を店主へ見せ、捨てる前に中を開けてもらえないかと頼んだ。湿気で引き出しが動かなかったからだ。

店主は薄いへらを隙間へ差し、紙を破らないよう少しずつ押した。開いた箱には、頭の崩れた燐寸が六本入っていた。一本を擦ってみても、茶色い粉が落ちるだけで火はつかない。店主は残りも試さず、すべて小皿へ移した。

初音は空になった箱を見て、何か手紙でも隠れていることを期待していた自分に気づいた。祖母からの仲直りの指示はなく、古い番号と湿った燐寸だけだった。

店主は棚の業務用箱から、新しい燐寸を一本取り出した。六本の代わりに一本だけを古い箱へ入れ、引き出しがまた固まらないよう縁へ蝋を薄く塗った。会計を求めると、修理代ではなく「燐寸一本」と打ち、最小の硬貨だけを受け取った。

包装はしなかった。店主は箱を、書き足された番号が上になる向きでカウンターへ戻した。

初音は自分の電話で母の連絡先を開いた。拒否設定を解除しても、祖母のように正しい言葉が見つかるわけではない。それでも、火がつくかどうかは擦るまで分からない。

発信を押す。呼出音が鳴る間、初音は燐寸箱を握らず、掌の上に載せていた。