漁港の塩むすび
早朝の漁港で働く凪紗は、午前九時に弁当を食べる。
仕事を始めるのは午前三時。魚を運び、箱へ氷を詰め、競りが終わる頃には、世間の朝食の時間が昼休みになる。
弁当は塩むすび二つと沢庵。母が握ったものだ。二十七にもなって、と凪紗は言うが、母は自分の朝食のついでだからと譲らない。
その日、一つ目を食べると、いつもより塩辛かった。
海風を浴び、汗もかいた身体にはちょうどよい。ご飯の中には具がなく、噛むほど米の甘さが出る。
隣で網を直していた船頭の岳人が、「今日は海が静かだ」と言った。
二人は防波堤に腰掛けた。足元で波が小さく砕け、魚市場から鱗と海水の匂いが流れてくる。
「毎日、同じ弁当で飽きないか」
「同じ塩加減の日、ないですよ」
母は目分量で塩をつける。指が濡れていれば濃くなり、急いでいればむらになる。今日の辛さは、寝坊したせいかもしれない。
二つ目を割ると、中から小さな昆布が出た。具なしだと思っていたので、凪紗は笑った。
帰宅したのは昼前だった。台所で母が、湯気の立つ茶碗を前に眠そうに座っている。
「今日、昆布入ってた」
「昨日の残り。片方だけね」
「塩も多かった」
「当たりの日だ」
母はそう言って味噌汁をよそった。凪紗は弁当箱を水につける。蓋を開けたままの箱から、まだ海苔ではなく、濡れた塩と竹籠の匂いがした。
明日も中身はほぼ同じだろう。それでもどこかが少し違う。その程度の変化を、凪紗は毎朝楽しみにしていた。
その晩、凪紗は初めて自分で翌朝のむすびを握った。濡らした指へ塩を取り、母の真似をして二度だけ回す。一つには昆布を入れ、どちらか分からないよう同じ形にした。早朝の台所で粗熱が取れるまで待つ間、窓の隙間から海の風が入り、白い飯の湯気と混じった。
夜明けの防波堤で包みを開けると、片方のむすびから昆布が覗いていた。岳人には見せず、何もないほうから食べる。当たりをあとへ残す間、冷たい潮風の中でも掌だけは、ご飯の丸みで温かかった。