潮だまりの昆布茶
魚市場のシャッターが下り、最後の軽トラックが去ると、岸壁の古い七輪のそばへ動物たちが集まる。
市場猫のしおかぜ、海鴎の波紙、石の隙間に住む蟹の鋏月、沖から来る海獺の藻布。七輪には昼の熱が少し残り、魚屋が昆布を洗った水の香りを囲んで、夜の集会が始まった。
その夜、しおかぜは小さなくしゃみをした。
「新入りがいる」
市場の箱置き場に、痩せた子猫が一匹隠れていた。夕方、魚の匂いに引かれて来たものの、人間の足音と海鳴りに怯え、何も食べていない。
「連れてくればいい」
波紙が言う。
「呼んでも動かない」
「なら、動かなくても参加できる会にしよう」
藻布は昆布水の器を子猫の見える場所へ寄せた。
動物たちは七輪から少し離れ、いつもの声量を半分にした。
鋏月が今日見た面白い貝殻の話をし、波紙は沖の雲が鯨に見えたと主張する。しおかぜは魚屋の前掛けへ忍び込んで追い出された話を、失敗ではなく武勇伝として語った。
箱の陰から、子猫の耳が少しずつ前へ向く。
「名前は?」
藻布が離れたまま訊いた。
返事はない。
「答えなくてもよい。海も毎晩、名乗らない」
七輪の熱が弱くなった頃、子猫は箱の外へ前足を出した。
一歩。止まる。
二歩。潮の匂いを嗅ぐ。
しおかぜは近づかず、自分の寝床に使っていた麻袋を半分だけ空けた。
子猫はその端へ座り、やがて腹をつけた。
「会員?」
波紙が小声で訊く。
「見学」
しおかぜが答えた。
翌朝、魚屋の女性が麻袋の二匹を見つけた。
「あら、友だちを連れてきたの」
彼女は子猫を病院へ運び、迷い猫の届けを出した。健康を確かめたあと、市場の休憩所へ保護用の箱を置く。
しおかぜは昼間、知らないふりをして箱の外で眠った。
夜の集会では、子猫にも器が一つ用意された。
人間がつけた仮の名は「なぎさ」。動物たちは本人が返事をするまで、その名を急いで使わなかった。
なぎさは昆布の香りを嗅ぎ、七輪の残り火へ鼻を向ける。
「今夜の話は?」
初めて、小さな声がした。
波紙が翼を広げた。
「海が鯨の形だった話」
「それ、雲では?」
なぎさが言う。
皆が笑った。
岸壁には潮と昆布、炭の温かな匂いが残った。波は暗い石へ静かに触れ、麻袋の中では二匹ぶんの体温が、朝までゆっくり混じり合っていた。