点字のような鉛筆跡
霧島珠季は古書修復の工房で、寄贈された小説の頁に点字のような凹みを見つけた。鉛筆で書かれた文字はないのに、光へ傾けると〈ごめん〉〈会いたい〉が何度も浮かぶ。
凹みは、破れや染みと違って修復の対象か判断しにくかった。伸ばせば言葉を消すことになり、残せば本の持ち主の秘密を保存することになる。相良は湿らせて平らにしようと言い、塩谷は運搬中の圧力ではないかと首を傾げた。珠季は作業を止め、頁を一枚ずつ光へ透かした。謝罪の言葉が章をまたいで続くほど、これは偶然の傷ではないと分かった。
本を扱ったのは、寄贈者の宇賀神、受付の相良、運搬をした塩谷の三人だった。
手掛かりは三つ。凹みは文字が左右反転しておらず、頁に直接書いた跡ではない。繊維には便箋の青い紙粉が残る。そして同じ文章が章の内容と無関係に、机として使いやすい中央頁へ集中していた。
珠季は、一枚の紙を本の上に置き、強く文字を書いてみた。下の頁へ同じ凹みが残る。
珠季は凹みの文章を全文読むことはしなかった。必要なのは差出人を暴くことではなく、本を直すべきか確かめることだけだった。最後に浮かんだ〈返事はいらない〉の一行を見て、手紙がまだ届いていないと分かった。秘密を知った責任が、修復台の上へ重く残った。
宇賀神は呼び出されると、すぐに肩を落とした。娘へ出す手紙を、この本を下敷きにして何度も書いたという。娘の結婚に反対して以来、三年会っていない。孫が生まれたと聞いて謝罪を書いたが、「今さら自分が喜べば、許せと迫ることになる」と、どの便箋も捨てた。
本は娘が学生時代に贈ったものだった。部屋を整理する際、手紙と一緒に見ないよう寄贈箱へ入れたらしい。
「消したつもりの言葉ほど、残りますね」
珠季は凹みを無理に伸ばさず、破れた背だけを直した。本を返し、新しい便箋を一枚添える。
「謝る手紙に、返事を求める文章を書かなければいいんです」
宇賀神は長く考え、最初に宛名を書いた。
工房の相良が淹れた番茶を、二人で黙って飲む。珠季は香ばしい一口のあと、便箋を指した。
「今度は本じゃなく、ちゃんと紙に」
宇賀神は頷いた。
「はい。宛名から」