爪の下の黒を落とせ
王都一の菓子工房で、焼き菓子だけが翌日に黴びた。
材料は最高級。窯の火も正確。それなのに、祝宴用の砂糖菓子三百箱から青い黴が出て、工房主ボルネは見習いの玲奈へ損失を押しつけた。
「無魔力の娘が触ったから腐ったのだ」
前世で給食施設にいた玲奈は、職人たちの手を見た。掌は水ですすいでいる。しかし長く伸びた爪の下には、生地と煤が黒く詰まっていた。
玲奈が使った知識は一つ。作業前に爪を短くし、爪の下までブラシで洗うこと。
職人は猛反発した。長い爪は砂糖細工師の誇りで、指先の魔力を集めると言われていたからだ。最古参は「爪を切るなら辞める」と鋏を投げた。工房主も彼を止めず、玲奈だけを夜明けまで働かせると脅した。それでも玲奈は鋏とブラシを引っ込めなかった。
玲奈は議論せず、白い練り生地を一人ずつ握らせた。従来どおり洗った手の生地には、黒い点が十四。爪を切り、ブラシで洗った玲奈の生地にはゼロ。
「その点が黴だという証拠はない」
ボルネが言う。
そこで同じ生地を二十個ずつ焼き、透明な箱へ入れた。三日後、長い爪で作った組は二十個中十三個に青い斑点。爪を洗った組は二十個すべて黄金色のままだった。香りも、焼きたての蜂蜜の甘さを保っている。
工房は祝宴の注文三千個を、玲奈の手順で作り直した。従来なら爪の飾りに生地が絡み、成形に六時間かかった。短い爪では四時間。廃棄は前年の四百二十個から六個に減った。
祝宴当日、王女は三日目の焼き菓子を割った。内側は乾きすぎず、黴臭さもない。
工房主は玲奈の功績を隠し、「新しい保存魔法」と報告した。だが王女付き侍女フェリシアは、職人全員の短い爪と、入口の小さなブラシを見逃さなかった。
「魔法なら、なぜ魔力ゼロの彼女だけが手順を知っているの?」
ボルネが黙る。
王女は次の戴冠式、菓子一万個の注文書を玲奈へ直接渡した。
「王室衛生菓子師として受けてください。工房主も、あなたの爪検査を通った者だけです」
玲奈が入口へ立つと、最古参の職人から黙って両手を差し出した。