犯人の身体を借りた男
海老沢怜志は毎朝、格安身体の首元にある傷を鏡で隠す。頑丈だが古く、右手の薬指が少し曲がっている。弟の蒼生が殺されてから仕事を休み、貯金を使い果たした彼には、その身体しか借りられなかった。
この社会では、犯罪は意識ではなく、実行した身体番号へ記録される。誰が借りていたかを争えば、記憶の偽装が起きる。だから同じ身体を使う者が、未処理の罪も引き継ぐ。それが一つの規則だった。
駅の改札で、警報が鳴った。
《身体番号B-044》
《殺人容疑による拘束命令》
警備員に両腕をつかまれる。
「俺じゃない。今月から借りただけだ」
端末へ契約日を見せても、表示は変わらない。
《事件発生時の利用者は契約終了済み》
《現利用者を身体責任者として確保します》
事件の概要が開く。
三か月前、河川敷で二十二歳男性を刺殺。
被害者名は、海老沢蒼生。
怜志は呼吸を忘れた。
証拠写真には、弟のシャツをつかむ右手が写っていた。薬指が同じ角度に曲がっている。首元の傷も、蒼生が抵抗して付けたものだった。
毎朝、鏡で隠していた傷だった。
「前の利用者は誰だ」
《契約者情報は返却時に匿名化されます》
「そいつが弟を殺したんだ」
《殺人を実行した身体は、現在あなたが占有しています》
警察署で、怜志は事情聴取を受けた。取調官は彼の顔ではなく、身体番号だけを見た。
「凶器をどこへ捨てた」
「知らない」
「被害者との関係は」
「弟です」
その答えで、端末が新しい可能性を表示した。
《親族間殺人》
《動機:相続または怨恨》
怜志の意識履歴より、身体の傷と親族関係が重く扱われる。
彼は身体の返却を申し出た。
《捜査中の証拠身体は返却できません》
本体へ戻ることも許されない。拘置所の鏡には、弟を最後に見た身体が映り続けた。
夜、端末へ一通の広告が届く。
《匿名性の高い新型身体をご案内します》
送信先は、三か月前までB-044を借りていた利用者だった。匿名化に失敗した自動販促らしい。
怜志はリンクを押す。
購入済み表示の横に、新しい身体番号があった。
その身体は今日、同じ駅の改札を問題なく通過している。
怜志は警察へ見せた。
《別身体に犯罪履歴はありません》
取調官は画面を閉じた。
弟を殺した意識は、新品の身体で自由に歩いている。
弟を殺した身体だけが、兄を犯人にして檻の中に残った。