畦道を後ろ向きに
母の死後、姉と私は田んぼを売った。
二人とも町で働き、稲作を続ける余裕はなかった。買い手は倉庫を建て、秋になると黄金色だった場所へ灰色の屋根が並んだ。
姉は現実的な判断だったと言う。私は帰省のたび、母まで売ったような気がした。
収穫祭の夕方、残っていた一本の畦道を後ろ向きに歩いた。
振り返ると、倉庫の代わりに稲穂が広がっていた。
田んぼを売らなかった世界だった。
姉が泥だらけで機械を直し、私は直売所の帳簿をつけている。母の古い帽子が杭に掛かっていた。
風の渡る景色は、記憶より美しかった。
だが近づくと、姉の手首には湿布が巻かれ、帳簿には赤字が続いている。
向こうの私は町の会社を辞めたことを、姉へ何度も責めていた。
姉も「残ろうと言ったのはそっち」と言い返した。
母の田んぼを守った二人は、母がいた頃より遠い顔をしていた。
休憩小屋の壁に、母の字が残っていた。
「田んぼは家族ではありません。手に余ったら、誰かに渡しなさい」
母らしくないほど、きっぱりした文だった。
その下へ向こうの姉が書き足している。
「読んだけど、やめられない」
向こうの私も、畦のこちら側に気づいた。
倉庫を見て泣きそうな顔をしたあと、私のきれいな靴を見て笑った。
私は彼女の泥を羨み、彼女は私の身軽さを羨んでいた。
日が沈み、畦道が暗くなる。
私は後ろ向きのまま元の場所へ戻った。
倉庫の壁が夕焼けを大きく映していた。稲穂はない。それでも空の色だけは、昔と同じだった。
翌日、姉と売却代金の残りを確認した。
二人で、町外れの小さな畑を一年だけ借りることにした。
稲ではなく、母が好きだった枝豆を植えた。
最初の収穫は虫食いだらけだった。
姉は「田んぼを残さなくて正解」と笑い、私は「畑も手に余る」と答えた。
それでも収穫祭で、子どもたちへ茹でた枝豆を配った。
灰色の倉庫を田んぼへ戻すことはできない。
けれど守ることは、同じ形で残すことだけではなかった。
母の土地を手放した手で、別の土を耕してもよかった。