祖母のハンドルネーム
宇佐美杏の配信には、毎回いちばん遅く現れる視聴者がいた。
〈まめ大福88〉。
ゲーム配信者〈アンズ隊長〉が迷えば「右」、勝てば拍手、夜十二時を過ぎれば「寝る」とだけ書く。短いコメントなのに、来ない日は気になった。
杏は昼間、住宅設備会社で働いている。実家には、ゲームはたまに遊ぶ程度と話していた。祖母の初江など、配信という言葉さえ知らないと思っていた。
老人ホームへ面会に行った日、初江のタブレットが鳴った。
《アンズ隊長が今夜の配信予定を公開しました》
画面の隅に、見覚えのある名前がある。
〈まめ大福88としてログイン中〉
「おばあちゃん?」
初江は悪びれず、画面を伏せた。
「見たね」
「ずっと見てたの?」
「ずっとではないよ。眠くなるまで」
「私だって知ってた?」
「くしゃみが同じだからね」
杏は顔を覆った。声を加工し、会社も住まいも隠してきたのに、くしゃみ一つで見抜かれていた。
初江は昨年、指の手術をした。リハビリでタブレットを勧められ、家族に教わって動画を開いたという。
「コメントを打つのが練習になった。右と左は早く打てるようになったよ」
「だから、いつも指示だけなの」
「隊長が道を覚えないから忙しい」
その週末、親族が集まった。杏の鞄から、配信キャラクターの缶バッジが落ちた。叔母が拾い、「まだこんな子どもっぽいものを」と笑う。
杏が手を伸ばすより先に、初江が言った。
「それ、私の先生の印」
「先生?」
「指を動かす先生。杏がやってる」
部屋が静かになった。
杏はごまかすこともできた。けれど初江のタブレットに残る短い文字を思い出した。
「ゲーム配信をしてるの。週に三回」
叔母は驚いたが、それ以上笑わなかった。父は「収入の申告は」と現実的なことを聞き、母は「夜更かしだけは」と言った。世界は、想像したほど崩れなかった。
次の配信で、杏は机の上に小さな布袋を置いた。初江が編んだ、豆大福柄のコントローラーカバーだ。
「今日から新しい装備です」
チャット欄の最後尾に、いつもの名前が現れる。
〈まめ大福88:右〉
杏は笑って、今度こそ右の道を選んだ。