秋採用の乾杯
十月末、博物館研究会の三人は、駅ビルの居酒屋で遅い乾杯をした。
北原澄人が物流会社の秋採用に通ったからだ。庄司真尋は文化財保存の大学院へ進み、月岡絢音は市立博物館の一年契約職員になる。
「内定、おめでとう」
絢音が言い、三つのグラスが触れた。澄人のビール、真尋の烏龍茶、絢音の水。契約職員の健康診断が翌朝にあるため、彼女だけ酒を頼まなかった。
「物流なら、展示品を運べるかもしれない」
真尋が励ます。
「最初は冷凍食品の倉庫」と澄人。
「保存温度は大事だよ」
「ミイラと餃子を同じにするな」
笑ったあと、沈黙が来た。店内の誕生日祝いの拍手だけが、隣の席から聞こえた。
研究会では、閉館後の郷土資料館を借り、三人で小さな企画展を開いた。来場者は六十二人。それでも感想帳の一冊を、誰が就活の実績として持つかでは揉めなかった。あの頃はまだ、三人とも同じ入口を見ていた。
三人とも学芸員を目指していた。正規採用は全国で数人。澄人は二十七館を落ち、真尋は受験資格を増やすため院へ逃げ込み、絢音だけが博物館に残った。ただし任期は一年、更新なしの可能性がある。
「一番夢に近いの、絢音だね」と澄人。
「来年また就活するけど」
「それでも展示室に立てる」
「受付と収蔵庫の掃除が中心」
「俺は研究を続けられる」と真尋。
「奨学金、増えるんでしょ」
励ましが互いの弱いところへ刺さっていく。
澄人はグラスを置いた。
「俺の祝いなのに、謝りたくなってきた」
「決まった人が謝るの、いちばん嫌い」と絢音。
「決まってない扱いするのも嫌」と真尋が言う。
三人はもう一度乾杯した。今度は何に対してか言わなかった。
店を出る前、澄人は会社の寮へ送る書類を確認し、真尋は研究計画書を、絢音は契約期間が赤字で囲まれた採用通知を畳んだ。
テーブルには水のグラスだけが半分残った。店員が下げようとすると、三人分の箸袋がその下に敷かれていた。濡れた紙は重なったまま剥がれず、名前を書いた面から少しずつ透けていた。