空く前に着替える
榊森佳澄は、スポーツジムの更衣室が空になるまで着替えない。
腰から太腿にかけて、白い線が何本も走っている。大学卒業後、体調を崩して体重が短期間に変わったときにできた線だった。痛みはもうない。それでもロッカーの白い照明に当たると、佳澄には傷口のように見えた。
運動を終えた人が鏡の前で髪を乾かし、化粧を直し、談笑して出ていく。その間、佳澄はベンチでスマートフォンを見るふりをする。最後の一人になってから、壁を向いて急いで着替える。そのせいで一本遅い電車になることも多かった。
待っている十五分を、佳澄は運動後の休憩だと言い換えた。けれど心拍が落ち着いても肩は固く、誰かが戻ってくるたび着替えを最初から先延ばしにした。
火曜の夜、閉館を知らせる放送が流れても、更衣室には一人残っていた。離れたロッカーで、年配の利用者が靴下を探している。佳澄はタオルを腰に巻いたまま、画面の時刻を見た。
あと七分で、乗りたい電車が出る。
急げば間に合う。けれど着替えるには、タオルを外さなければならない。相手が出るまで待てば、いつもどおり安心できる。
佳澄はロッカーの扉を少し広げ、盾のように身体を隠した。片手で下着を取ろうとすると、タオルの端が落ちそうになる。毎回この姿勢で肩をつらせ、自分の身体を盗品のように扱ってきた。
閉館まで五分、と放送が重なる。
佳澄はロッカーの扉を戻した。タオルを外し、ベンチへ置く。白い線が照明の下に出た。
息を止めていたことに気づき、ゆっくり吐く。線は消えず、相手も消えない。その二つを同時に置いたまま、佳澄は次の動作へ進んだ。
向こうの利用者は、靴下ではなく鍵を探していたらしい。床へ屈み、ロッカーの下を覗いている。佳澄の腰を見たかどうかは分からない。
佳澄は急がず下着を着け、シャツを頭からかぶった。線は布の下へ隠れたが、隠すために最後まで待ったのではなかった。
駅へ着くと発車ベルが鳴っていた。佳澄は階段を走り、閉まる前の電車に乗る。窓に映った顔は汗で赤く、髪も半乾きだった。
いつもの一本前の車内は、知らない乗客ばかりだった。
佳澄は空いた席に座り、濡れたタオルを普通の洗濯物のように鞄へしまった。