管理者権限の足音
セキュリティ監視室で、木庭野乃の夜勤は午前五時に終わるはずだった。五時三分、役員秘書から最後の依頼が届いた。
〈社長の管理者アカウントがロックされました。七時の投資家向け実演に使うので、至急解除してください〉
本人確認用の社員番号も、秘書しか知らない予定名も一致している。後輩は解除申請を作り、「社長案件なので最優先ですね」と言った。
野乃はロック直前の記録を開いた。失敗した接続は、社長がいる国内ではなく海外の複数地域から同時に来ている。さらに一時間前、予備の認証手段が追加されていた。通常なら本人端末の承認が必要だが、古い例外設定が残っている。
「解除しない。アカウントを隔離して、実演用は別の一時アカウントを発行する」
秘書は電話で、「社長本人が困っている。責任を取れますか」と言った。
「解除して侵入者も入れる責任は取れません。実演を止めず、権限だけ分けます」
野乃は当直責任者を呼び、管理者アカウントの全セッションを切断した。実演に必要な機能だけを持つ一時アカウントを作り、投資家資料へ触れられないよう範囲を限定する。七時の実演は予定どおり行える。秘書には一時アカウントの有効期限と、実演後に自動で消えることを説明した。速さを落とさず、権限だけを小さくする方法だった。
調査すると、社長を装ったメールから偽の認証画面へ誘導された可能性が高かった。本人確認の答えがそろっていたのは、秘書のメールも一部見られていたからだ。
後輩は解除申請を破棄せず、判断の分岐を書き加えた。
「偉い人の依頼ほど、本物だと思ってしまいます」
「権限が大きい人ほど、確認も大きくする。急いでいる肩書きは、本人確認にならないよ」
朝の報告書には、古い例外設定を全社で廃止する提案と、実演用権限を常設する案を添えた。
野乃は以前から、事故対応チームへの異動を迷っていた。夜間の緊張が続く部署で、生活が仕事に飲まれる気がしたからだ。募集要項を読み直すと、当番回数を選べる新制度が加わっていた。
野乃は月二回の当番を条件に指定し、異動申請を送信した。