終電の影車両
終電の最後尾は、持ち主とはぐれた影のために空けておく。
車掌は影からも切符を受け取り、行き先を声に出さず鋏を入れる。二枚差し出された場合は一枚を保管し、もう一枚の持ち主が現れるまで降車させてはいけない。影が終点を越えて歩いても、列車を止める必要はない。
御舟征也は、環状線の終電に十四年乗務していた。
最後尾には座席がなく、床だけが長く続いている。駅ごとに影が一つ二つ乗り込み、壁へ背を預けた。持ち主を寝過ごした影、飲み会から先に帰る影、病院に残した体へ戻れない影。征也は切符へ半月形の穴を開け、黙って返した。
冬のある夜、砂村佳苗の影が乗ってきた。
佳苗は九年前に別れた恋人だった。転勤についてきてほしいと言われ、征也は乗務を辞められなかった。最後に会ったホームで、彼女の影だけがしばらく征也の足元へ残った。その後の住所も、結婚したかどうかも知らない。
影は二枚の切符を差し出した。片方は終点行き、もう片方は征也の自宅駅行き。規則どおり一枚を車掌鞄へ入れ、影を降ろさなかった。
翌晩も佳苗の影は乗った。二枚目の持ち主は現れない。影は最後尾の床を端から端まで歩き、停車するたびドアの外を見た。征也は質問できず、切符も返せない。
十三夜目、環状線を一周しても影は降りなかった。終点の車庫へ入り、照明が消えると、影は閉じた扉を抜けて線路を歩き始めた。列車を止める必要はない。だが征也は制服の上着を脱ぎ、車掌鞄を持って後を追った。
影は枕木の間を音もなく進み、廃止された旧ホームへ上がった。そこは佳苗と別れた駅だった。駅名標は外され、ベンチだけが残っている。
ベンチには一人の女性が座っていた。佳苗ではない。白髪の老女で、影がなかった。彼女は征也を見ると、「切符を預けたままでした」と言った。声だけが佳苗に似ていた。
本人かどうか尋ねることは、影の乗客に関する質問になる。征也は黙って保管切符を差し出した。老女は受け取らず、隣の席を指した。
佳苗の影がそこへ座り、初めて歩くのをやめた。老女はもう一枚の切符を出した。行き先は征也の自宅駅。日付は九年前の別れた日だった。
征也は二枚を重ね、車掌鋏で穴を開けた。穴は半月二つが合わさり、小さな丸になった。
始発前、旧ホームに人影はなかった。ベンチには二枚の切符が重なって残り、上の一枚だけが体温を持っていた。
丸い穴から朝日が差し、枕木の上へ指輪ほどの光を落としていた。