縦読みの卒業
黒板の左端に、寺西紡の寄せ書きだけが縦に長かった。
〈なかなか騒がしい三年間でした〉
〈何度も助けられました〉
〈お互い別の道でも元気で〉
〈好きなことを忘れずに〉
〈きっとまた会いましょう〉
桐谷七緒は、教室の後ろからそれを読んだ。卒業式らしい、当たり障りのない文だ。紡は文芸部で、普段ならもっとひねくれたことを書く。句読点の位置まで考える人が、五行もありふれた言葉を並べるだろうか。
みんなが黒板の前で写真を撮り、帰り始めても、七緒は席を立たなかった。
最初の文字を上から読む。
な、な、お、す、き。
思わず振り返る。紡は廊下で友人に呼ばれ、こちらを見ないまま手を振っていた。
「ずるい」
声に出すと、隣の席の椅子だけが聞いた。
二年の文化祭で、紡は謎解き展示の文章に「七緒、購買行こう」を隠した。三年の冬には、進路資料の付箋を縦に並べると「負けるな」になった。大事なことほど、彼は正面から書かなかった。
七緒は黒板へ近づき、五行目の〈きっとまた会いましょう〉を消した。
代わりに書く。
〈ですから、校門で待っていて〉
頭文字は、な・な・お・す・で。失敗した。
慌てて一行目から考え直す。チョークを何本も折り、黄色の粉で指を汚しながら、五行すべてを書き換えた。
〈なぜ今まで言わなかったの〉
〈なんて、私も同じだけど〉
〈遅すぎるから〉
〈少しだけ待って〉
〈急いで行く〉
縦に読めば、な・な・お・す・い。最後だけ違う。
七緒は最後の二行を消し、笑ってしまった。こんなときまで、言葉は思い通りに並ばない。
結局、黒板の空いた場所へ大きく一行だけ書いた。
〈紡、私も好き〉
写真を撮り、紡へ送る。既読がつく前に教室を飛び出した。
階段の途中で返信が来た。
〈縦読みじゃない。減点〉
その下に、〈でも校門で待つ〉と続いていた。
七緒はスマートフォンを握ったまま走った。卒業の日、二人が初めて隠さず書いた言葉は、どちらも黒板からはみ出すほどまっすぐだった。