葦原を渡る教室船

沼沢領には島が二十七あり、学校は一つしかなかった。

朝、子どもは渡し舟を三度乗り継ぐ。霧の日は休み、増水の日も休み、家に舟賃がなければ晴れていても休みだった。年間で百日通えた子は、領主のいる中央島の者だけだった。

水路官パルムは、学校を増やさず、学校そのものを動かすことにした。

税を運んでいた平底船を改装し、半日は北の島、翌日は南の島へ回る。航路と授業時刻は月初めに全桟橋へ貼る。費用は町外へ売る葦束百束につき一束分の銅貨。屋根や籠に自家使用する葦は数えない。徴収量、帆布代、教師の給金、修繕日を船腹の大板へ書いた。

中央島の商人は不満を述べた。

「学校が来るなら、遠島の者は舟賃を払わなくなる」

パルムは答えた。

「払えない舟賃を当てにして、空席を守る理由はありません」

老船頭が最初に舵を引き受けた。籠編み職人は机の縁を丸くし、漁師たちは浅瀬の位置を地図へ書き込んだ。中央島の親たちも、修繕日は陸の教室を開くと申し出た。自分の子だけ毎日学べればよいと言う者は、思ったほど多くなかった。

中央島へ停泊する日数も、人口だけで決めなかった。通学できなかった日数を各島が貝殻で示し、最も取り残された島から順に便を増やした。航路変更は船腹の板へ理由付きで書く。領主の宴があるから予定を変えよという命令は、公開規則に合わないとして船頭たち自身が断った。

初航海、船は霧を割って小島へ着いた。六歳の少女が裸足で桟橋へ走り、揺れる机を見て笑う。

「文字も揺れますか」

教師は黒板へ一本の横線を引いた。船が岸を離れると、線の上で白墨の粉が細かく震える。それでも線は消えない。

舟が来る時刻には、各桟橋へ子どもだけでなく大人も集まった。文字を学び直したい者は後ろの敷物へ座れると知り、網を抱えた祖母まで乗り込んだ。

授業の終わり、子どもたちは次の島の友達へ問題を一つ残した。黒板を消さず、帆を上げる。

葦の穂の向こうを、白い字を載せた学校がゆっくり渡っていった。